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2011-06-02

裸のラリーズ:Les Rallizes Denudes : Heavier Than A Death In The Family (Bootleg)

私が2001年の春の L.A.M.E. という小雑誌の推薦リストで裸のラリーズのことを書いて以来、よくこの知られざる日本のバンドの入門にはナニが最適か、という質問を受けるようになった。 それでいつもわたしは、彼らのレコードは殆どが海賊版で容易に入手する手段はないから、入手可能な時はそれが何時、何処であろうとも手に入れるべきだと答 えることにしていた。 しかしこのアルバムが再登場した今、その悲惨な状況は少し改善されつつある。 実際に HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY は主に、今年の始めに出回った LIVE '77 の2枚組ビニール盤の音質を加工し改善したものだが、しかしこのカットは全体にもっとラウドだし、ジャケットはもっと良く、そしてこれにはトビッキリの 1973年の "People Can Choose"が含まれているのだが、これはメチャメチャにキャッチーで、そして他じゃ見つけるのが難しい曲だ。

Know Fun

もし君が伝説的な Electric Eels(*) や70年代中期のクリーブランドのバンド、または初期の Jesus & Mery Chain や Velvets の WHITE LIGHT/WHITE HEAT などにおける反復するコードに潜むロックンロールの破壊性を好きなら、このアルバムはたまげた夢が現実になっちまったって事になるだろう。  HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY は 君のおばあちゃんの時代のしわ伸ばし機械や、建築現場のコンクリート・ミキサー越しだろうと、そして、通常10時のニュースまでは止まない Barrow-in-Furness 製のエアコンの中でさえ、ソリッドでキャッチーなレコードだ。 時には、ニール・ヤングが ZUMA でやった WELD スタイルの高音バージョンのように明白で重々しく、また時には、水谷はリード・ギターを通してルーリードやジョンケールとのチャネリングをしているみたい ですらある。 そして常にそのカオスは、“Sally Go Round the Roses”や “Stand By Me”または君が「そんなスタンダードをやっていいの?」と聞きたくなるようなスタイルの、とびきり上等なリフの上に繰り広げられるのだ。

皮肉屋に言わせれば、裸のラリーズの偉大なところは、単にレコードの音質が歪んでいてどうしようもないところだとなるかもしれな い。 しかしラリーズのリーダー水谷は彼の音楽の女神との交信の高度に限定された方法を選択したのであり、私は彼のメタファをよろこんで受け入れるし、ま た君らもそうすべきである。 もし彼がその全てを否定し、そして「でも君たちはスタジオ・バージョンを聞くべきだよ」と主張するなら、わたしも困ってしま う。 しかし幸い水谷はライブ・ショーの貧弱な録音メディアについて異議を唱えてはいない。 証拠にラリーズのもっとも有名で完全なオフィシャル・アルバ ムである LIVE '77 の音質でさえ明白に Little Johnny Jewel 以下である。 そう、彼らの音質のすごいことには、 わたしが去年の AUDIENCE WITHE THE COPE 2001 ツアーで Sheffield Memorial Hall でこのアルバムをかけた時のことだが、PA屋のボスは、わたしが彼がナニをしているか気づいてそれがこのレコードからの筋違いのノイズだと指摘してやるま で、半時間をかけて電気回路の故障部分を探しつづけていた。 もし君たちが Pere Ubu の Street waves" の聞いた事がありそうで、他に聞いたこともないリフや、 Chrome の HALF MACHINE LIP MOVES の最初の10分間の、昨夜キミの妹がドライヤで髪を乾かしてる間にラジオでなってたStooges みたいな効果が大好きなら、野朗ども、君の真に新しい好みのバンドにようこそ。 裸のラリーズは魔力の再臨によりリマスターされた特別の曲とともに、わた し達が住んでいる複製された細密な全ての世界の明白な証拠であり、今日においてもなお意固地に無名の中に潜んでいる最も偉大なロックンロール・アーティス トのひとつだぜ。

今月のアルバムにふさわしい裸のラリーズは間違いなく素晴らしい興奮であり、彼らのリーダーである、黒い服を着て口紅をつけた水谷孝そのものに違いない。  水谷は彼自身を撃ったり、またはバンドの全てのテープを燃やしたりまではしないまでも、彼自身と彼の仲間たちを全てのロックンロールの忘れ去られた場所 へと導くために、考えられる限り全てのことを行った。 しかしロックンロールの情報網は常に超現代的な洞窟居住者達のもっとも異質な群れにより殖民が続け られており、髭ズラの古代発掘者や、偏執狂的な神話収集家達、そして結局は我々が彼の音楽の女神を発見することを水谷は理解すべきであり、 たとえわたし や Seth Man(*)のコミュニケーションが衰えたとしても、次の世代がヨーグルトの容器の糸電話と、教えられた長い糸を手にするだろう。

(*) Electric Eels は'70年代のクリーブランドのバンド。
(*) Seth Man はコープ氏のBBSによく出頭している知られざるロック・オタクの名前。

Know Fear

しかし、わたしはみんなに、そのような直観的な経歴のない首謀者達の群れを創出した歴史について少し語るべきだろう。裸のラリーズは「リリースしない、イ ンタビューしない、ツアーもしない」というポリシーをたまたま誤って選択したのではなくそれはとんでもないことだったのだ。 いいや、裸のラリーズは京都 で結成され1967年、当時の日本の政治及びポップミュージックの両方に対する精神的反発からの深い目的があった。 初期において彼らはグループサウン ズ・シーンの全てのバンドを嫌った。 グループサウンズは日本のバンド、例えばモップス、ジャックス、ゴールデンカップスなどにつけられた呼称だが、ブリ ティッシュやアメリカン・ビート・グループに深く触発され、それに彼ら自身の日本的な部分を加えたバンド達である。 本当のところそれらの多くのバンドは とても素晴らしいし(今再度検証すれば)彼らが西洋から吸収した部分に独自の多くの感性を追加しているのがわかる。 実際ジャックスをもっともらしくラ リーズのサウンドの源泉であるとか、スタジオで録音されているとか議論したりするかもしれない。しかし好都合なことに、水谷や彼のギャング達は否定者の群 れであり、グループサウンズ・シーンとはフランク・ザッパを聴いているルーリードより緊張した関係にあった。 そして反響の無い中で彼らが創りだしたもの はまぎれもない創造性のナイルの氾濫であった。

政治的にもまた、水谷と彼の最初の共謀者達、加藤と Tada Takashi(?)、はグループサウンズのバンドの厄介な文化的叩頭(cow-towing)を発見している。そしてもっとコマーシャルな東京のポッ プ・シーンに乗り出すのに対して、ラリーズは古風なそしてもっと小さい都市京都に留まることを好んだが、そこは日本の前の戦争でマッカーサーとの間で交わ された米国との軍事同盟である安保条約の改定に対して過激な学生たちが反対しているところでもあった。アメリカのベトナムにおける軍事行動がすでに日本に も影響を与えていた時期である事は思い出すべきで、それはベトナムからのつかの間の休憩に訪れるG.I.達 にとって、簡単に気を休めるわけにはいかない場所であった。実際に、日本列島の最南端にある沖縄の最大の米軍需基地は日本人の対決と不安の無法の種と化し ていた。

Barricades-a-Go-Go

東京キッドブラザース舞踏団についてわたしのエッセイで明かしたように(前回の今月のアルバムを参照)日本の最も成功した異議申立ての表現は伝統的に舞 踏、そして劇場からから生まれ、そこに音楽が含まれるというものだった。 経済的変化が日本の産業化した南方の島々や北方の劇作家、俳優、そしてフォー ク・ミュージシャン、例えば J.A. Seazer 三上寛、 そして必要の無い日本の西欧化への反論を述べ強力な存在となった寺山修司などの人々に影響を与え始めていた。 それは裸のラリーズが京都をベースとする比 類無き過激なアバンギャルド劇場、つまり現代劇場に関与する時点でもあった。 しかし J.A.Seazer とは異なり、言葉と舞踏が慎重に統合され叫びや嘆きの周期になじみやすいとしても、水谷の音楽は唯我独尊的な点において譲歩なき強烈な闇であった。

現今初期のラリーズの音楽を聞きながら、そららの上にギャーギャー押し付けられる現代劇場の可哀想な踊り子たちについて考えるのは、とてつもなくヒステリ アスなことだ。 現在入手可能な19分のフリーロック CD-single"Smokin' Cigarette Blues" は現代劇場の舞踏を論じる上での完璧な例である。"Smokin' Cigarete Blues" は、あなたが想像するように Velvets 影響下のPost-Frat(*) ロックであるにもかかわらず、まったくブルージーではない。不整脈に近い、洗濯機の中のBuddy Hollyのようなフリークアウトがかもし出すうつろで普遍なタムタム・ビート、水谷とその時期のベースプレーヤー Nakamura Takashi のひっくり返したような再現不可能なロックのリフは口やかましい、そしてオーデンとロキ(*)の様にお互いに非協力的だ。 そして全ての不協和音が恐るべ きそしてユニークなグルーブを創造しているにもかかわらず怒り狂ったハーモニカとタムタムの上に落ちていく時点において、ストレイトと呼ばれるラリーズの マテリアルの音楽的断片がこころをとらえて離さない。

この拒否と反戦の時代は、厳正な非商業的立場をとるラリーズ、そして水谷にとっての形成段階であり、これが(from here-on-in?)、実質的に彼らを宿命づけた。 1969年、Barricades-a-Go-Go として知られる京都大学での反戦コンサートに出演し、そしてこれ以降 Arther Lee の Love の取り巻きのような田舎じみた態度を取るようになった。 商業主義的な目で見るものはたとえ誰でもが、すぐにラリーズから追い出され、メンバーの一人が 1970年の悪名高いよど号ハイジャック事件に関わることにより水谷自身をも凌駕した時もであった

今では水谷は、現在全て黒のレコードジャケット、Katie Puckrick(*) 的髪型、そして彼の強力なトリオ不失者の華麗な獣性で有名な、同様に黒装束の灰野敬二と仲が良い。 1971年灰野はロストアラーフとして知られるフリー ロックアンサンブルを構成していた時期にラリーズと Trip Festival で演奏した。 不運なことに水谷が灰野の女友達をとったために二人はケンカし友情は終わった。 そして灰野敬二がコマーシャル路線から強烈な非難を受けて いる間、水谷はラリーズを日本のアンダーグランド文化へ、そしてかつて存在しない故意に無名の地帯へと導き出していた。 バンドメンバーはラリーズとして 記述するには余りにも度々入れ替わり、時には三人、四人、そして1980年代初期にはラリーズのリズムには多分 'skank'(*) の影響が現れる。 しかしその他、裸のラリーズのファッション、彼らの限られたライブの曲構成、そしてその配布のマナーは決して変わることがなかった。

数年前、ラリーズについてのもっともアンダーグランドなフィルムが流出し、そしてかろうじて見るに耐える驚くべき正確さで、彼らの全てに対してアンチであ る姿勢をとらえることができるようになった。 第三世代の DA Pennebaker の Don't Look Back のランダムなカットのビデオ・コピーを、1997年に National Film Theatre で見た Amon Duul 2 の Phallus Dei のフイルムと同時に見ることを想像してみてくれ。 それでもまだその半分くらいだ。 わたしが話しているのは、口の動きが同期していないとか、対話がない とか、サウンドトラックをいつでも黙られるクレジットについてだ。 もし君がアンダーグランド映画館の新しい最低を求めるなら、ラリーズのフィルムは全て の賞を得るだろう。

(*) fratはアメリカの大学生倶楽部のことなので、その学生達が聞くような音楽かな。僕のイメージとして(アメリカ人ではないので)、ワイワイとビールを飲 みながら楽しんでいるスポーツ派の奴らばっかり。そいつらの聞くロックは何でしょうかね。Ted Nugent? Kiss? Kansas? それのポストって感じでしょうね。
(*)オーデンとロキは共に北欧神話の神。
(*) Katie Puckrickはイギリスのテレビに出演しているカナダ人の女性キャスター。Pet Shop Boysのツアーによくダンサーとして登場するらしいです。
(*) 「skank」は普通に「レゲエ風のビート」という意味ですが、ここではどうでしょうか。「非ロック的なビート」かしら。ちなみに俗語ではブスの意味もあります。


Strong Out…

これらのラリーズのレコードは故意にプロモートもされず、そして長い年月の間放っておかれたので、水谷の成果に対する正式な年代順の批評を試みるのは、古 代アイルランド人をローマ・カトリックに改宗させるよりも難しい。 そしてたとえそうであろうとも、 HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY はイベントから長い期間を経て、こっそりと出された多くのラリーズのライブアルバムのひとつである(たとえ、バンドのいくつかの超不明瞭なバージョンが幾 人かの日本人信者の聖地の山々の中においてアコースティックで演奏されているのが正しい可能性があるとしても)

率直にいって、わたしが聞いたスタジオ録音はまったくこころを惹かれなかったが、Nico の 45回転シングル "The Last Mile"(*) や初期の Felt そして Velvets の三枚目などの間のどこかにぶらさがっていた。 彼らの 67-69 STUDIO ET LIVE にはカズー(*)のソロのある曲が収録されてさえいる。 しかし信じてくれ、それはわたしがここで最高に支持する裸のラリーズの一面ではない。 いいや、 わたしを夢中にされているのは三枚のビニールLPと7枚のCDに含まれる本質的に異なったコレクションであり、 それにはかつて寝室で撒き散らした最高の psycho-chandy-assed なサイケデリアが含まれている。 さよう、わたしにはラリーズの完全なコレクションを得る手段がない。 しかし誰か可能だろう? このバンドのファンでい ることは、うろたえることとフラストレーションを学ぶことである。 しかし手引きにはすでに充分である。 HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY を手にとってみようじゃないか、彼らのリリースされた中では、もっとも密集したコンピレーションを・・・

(*) The Last Mile はニコのロンドン時代のデビュ・シングルで、当時スタジオ・ミュージシャンだったジミーページがプロデュースと12弦ギターを弾いている。 また Felt の 1'st はギター&Vo の後にドラムを録音したらしくて、リズムがズレズレ。 多分ここでコープ氏は自分の嫌いなタイプとして VU の 3rd と共にあげているようだが、どれも訳者本人としては好きなだけに・・・複雑・・・
(*) カズーが入ってる曲ってあったっけ?

Album of the Month

この音楽について記述するべき点は、印刷用紙(foolscap 道化の帽子の意味もある)半分ほども無い。 君は単純にこれを愛するか嫌うかのどちらかだ。 明白なことだ。 なおまた、わたしの親愛なる翻訳者 Annexus Quam 夫人である Yuri AKA がわたしに教えてくれたことによると、水谷の言葉は、押し黙った(dumb-dumb)6月の月の下での(moon-in-June)キスをしているよう な(kissy-kissy)感じだが、それは外部のなお外部(out-and-out)の政治的で、文化的拒絶に由来する、故意によるものだという。

第一面はずっしりとしたカギ状(hooky?)で、Booker T の "Green Onions" から "Las Veags Basement" にかけての crawl(?)に見られる、重い15分間の足取り(plod-a-thon)の“Strong Out Deeper Than the Night”で始まるが、それは水谷の恋人にささやくように、そして弱々しく泣くような広くエコーのかかったボーカルで始まり、そしてその自身の答えとし てのナパーム・ファズ・ギターが炸裂する。 それは全ての16歳が演奏する即席のコード進行のたぐいの回りに、まるで終わりの無い重い足取りのようで、そ して彼が真実に向かって始めた瞬間を捨て去る。 勿論ここは水谷ランドの中、それが第一面の全てを占めている。

続く“The Night Collectors”、風ふくトンネルの中での La Dusseldorf の "Virginia Plain"ようなから、 第二面が始まる。 再度、ズッシリとしたキャッチーな、そして超単純で歪みきった(distort-o-fest)、ここでは8分のオートバンでの無謀な ドライブ、水谷のリード・ギターはナイアガラの滝の中に聴く者を包み込む。

そして? 確認するなら、言葉を失ったわれわれは暗闇の隠喩を逃しはしない-それは "Night of the Assassins"、彼らの全てのアルバムで取り上げられているラリーズのスタンダード、そして基本的に地獄からの "Stand By Me" だ。 Ben E.King の1968年のバックバンドが巨大な花崗岩のくずれた斜面を波乗りしているのを想像してみてくれ、彼らのあわれな雇い主のことなど考えないで。 殆どの ミュージシャンを、まさに水谷博士が注文したズタ袋におしこんでしまう shucking や jiving (ジャイブ?)の12分間 が明確にここにある。 潮の満ち曳きのようなギターの炸裂は時間の栄光に照らされた妙に甘ったるいリフからかつて無い甘美さのしずくを撒き散らす。  Television の "Prove It" を最初に聞いた時、 君がそんな伝統的な部分をバーラインからどんなふうに受け入れたかを思い出してくれ。 それだけのために、極端に型にはまらずに、すっかり失望しただろう か? そう、君はここでは、まさにそれと同じだ。 水谷は最初に Ted Nugent の驚くべき the Amboy Dukes の入り口 "Journey to the Centre of the Mind" のようなギターソロから入る。 でも Nuge(Ted Nugent)のようではなく、水谷は完璧にグループの目的地への制御の中にいる。 そして暗闇のこころへのこの片道切符はハンサムな旧式自動(*)から は決して作られたことがない。

第三面はもうひとつのラリーズのスタンダード、"Enter the Mirror" として知られるスローな Velvets 的ドローンな曲から開始する。 さてわれわれはここでせいぜい2つのコードのことについて話しているが、ベース・プレーヤーはそれでもそれを間違えてい る。 彼はその方法を上品に感じながら、11分後でもまだ暗中模索している。 そこにはコーラスの為の第三のコードがあるのだが、しかしバンドは明白に ベースマンを信頼していなくて、それで彼らは、彼がやり過ごせないように三度の無骨な糸口をかれに与えている。 これはわたしが曲を掘り下げていないみた いだろうか? そうわたしは自分のケースを大げさに言っているだけで、なぜならわたしはこれが好きだ。 "Enter the Mirror" は「荒々しい石の遺跡」と表現されてきたような古代の遺跡の粗暴な方法であり、これは根源的、そしてあからさまな荒削りである。 このラリーズの男は モー・タッカーがドラムを演奏するようにベースを演奏し、完全な無知を通して曲をひっくり返し、しかしともかく結局は音楽的裏道と裏庭の第二の等価なメロ ディを通して、とても良い遠回りによりルート音へと回帰する

第三面は “People Can Choose” の呼吸の美しさにより閉じられ、メジャーリーグ級のヒズミの10分間、はねあげるシンバル、壁を登るベース・ライン、そして再度オン再度 オフのギターの激痛、明らかにかつて聞いたに違いないリフという思いを序々に衰弱させ、ついにはその立体的な靴ヒモが叙事的な Pretty Things の "On The Road South" からの盗用を勝ち取る単音のマントラと同様な中へと発射される。 そしてこのトラックの(チクショウ!)音質にもかかわらず、これはアルバムでのわたしの 一番好きな曲に違いない。 不運にも "People Cna Choose" の唯一もうひとつのバージョン、それはなんとか見つけたが、致命的なラリーズの映画においてで、わたしはそれについて語ったっけ? そして(控えめにも) このバージョンは200倍はいい!

アルバムの最後の面は曲がまだ完成には近くないキミの全ての人生のように砕け散る。 "Ice Fire" の16分間はフリッパーの叙事詩に割り込む、いつもの瞬間のように響く。 "Sex Bomb(MyBaby Yeah)" でもそうはならない。 これはリフの地獄、Stooges の "Funhouse" や Joy Division の "Wilderness" のような力強さ、しかし水谷のヒズミのフェスティバルにより記された図太い永遠の中に走り書きされている。 瞑想的であることに容赦無く、有用であること に円筒的。 わたしはその風のトンネルの中に立つベースプレーヤーになりたい、あのレベルの激しい怒りの中に固定されたまま。

(*) ハンサムな旧式自動 とは勿論 Ted Nugent のこと?

In Conclusion

この「今月のアルバム」はまさに、キミやその仲間達の人生や時代の最初の経験である。 多分この幾分かはレコードジャケットをめくり、そして少しは深みを 知っているようなロックの考古学者たちを刺激するだろう。 もしキミが HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY が手に入らないなら、わたしはあなたに LIVE '77 を探し出すようにというだろう(最近はダブルCDとダブル・ビニール盤のどちらも再度入手可能だ)、または LIVE 1973、これはごくタマに FIELD OF ARTIFICIAL FLOWERS 名で出ている。 ジャケットは本当に上等の得たいの知れないやつで、多分キミはどちらにしろそれが欲しくなるだろう。 さらも水谷はそんな許容しえるロッ クンロールのコードを使いながら、決してキミがノイズの中に溺れないような彼のフリークアウトを塗りつぶすように構成し、この灰野敬二のような方法は彼の 聴衆に常習者のように受け入れられている。

しかしわれわれは水谷をどのようにロックンロールのリクタースケール(地震の規模を表示する10段階)に登録すべきだろう? わたしは誰かが電気を使っ て、ロックンロールの神殿に正しく彼の場所を与えるに足りるように、そしてわれわれ先進的野郎どもがしっかりと彼の作品を買うことが可能になるに値するよ うにすべきだと結論づける。 さて、水谷のラリーズにおける作品は、決して同時代の彼の演奏を体験した日本の聴衆に火をつけなかったし、そして未来のいつ かにおいてもそうはならないだろう。 疑いなくそれはわたしにとって70年代初期の日本において紅い口紅をつけた誰もが、そしてグループの中の飛行機のハ イジャッカーを数えても、Bob Mould の畑を耕しはしないだろう。 そして今わたしは、この sucker が或る日わたしの道を必ず横切るのを確信しているし、そして読んだり聞いたりする時間がある全てのやつらの上に容赦なく押し付けられるだろう。 そして必 然的道理として、わたしはいつか、水谷が Klaus Dinger や Damo Suzuki や色々な“決してよりは後に良い(Better-late_than-never)”ロックンロールの聖者達の群れに連ねられるスタンダードな音楽家の名 前となることを結論する。 わたしは回収されたわたしの本から1999年の引用とともに終えようと思う。
“Through the filtered or domino effect of behaviour-rubbing-off-on-others, the one who dances at the world’s edge eventually infuses the spirit of even the most central figures of society.” ”フィルターを通した、または他の摩擦のオフ・オン効果のドミノ効果、結局はもっとも中心的な社会の姿を平均化させる精神を吹き込む世界の果てにおいて踊 る誰か” Right fucking on, or watt! さてやっちまおうぜ、それともナニ!

Footnotes:

1. わたしの友達のロック批評家が言うには、わたしの L.A.M.F. アルバムを聞いた時、 ラリーズの"The Last One" のサンプルを特集したとき、彼はやり遂げれなかったという。 勿論彼は "The Last One" に最低6つの異なるバージョンがあることを知らなかったが、そして数年後でも、どのように着手すべきかというところにまさに留まってはいなかった。

2.特に Annexus Quam の親愛なる奥さん Yuri に感謝、彼女はわたしの翻訳家として、そして全てにおいて著しく不明瞭な日本の概念の説明をしてくれた。 同様に Trevor Manwaring にも感謝、 彼の終わりのない会話が非常に寄与してくれた。 そして David Keenan 彼は真に先行思考な野郎だ。
Les Rallizes Denudes
Heavier Than A Death In The Family


Released 2002 on Ain't Group Sounds.
Reviewed by Julian Cope, 03/09/2002ce.
Recorded live in concert between 1973-77.

Side 1

Strong Out Deeper Than the Night (15.32)

Side 2

The Night Collectors (8.30)
Night of the Assassins (12.04)

Side 3

Enter the Mirror (11.30)
People Can Choose (10.32)

Side 4

Ice Fire (16.12)

[ 訳出:よしのさん、sevenさん ]

裸のラリーズ:雑誌記事 「Record Collector」No.250 : p109, 2000.

......they are indebted to the highly mysterious Les Rallizes Denudes. Formed around 1967,and spotted in action as recently as 1994,the rallizes specialise in this same basic principles ; relatively simple bass and drum patterns played at great length and volume, over-laid with searing guiter workouts and a voice which barely punctures the ether. Unusually for the Japanese Underground, the Rallizes have managed to release only three, very limited, albums in that time, all of which change hands for astronomical figures. The rare double live set メ77 - Liveモ is particularly worthy of mention, demonstrating the power and inventiveness of the Rallizes to perfection.

(Tokyo Terror - A brief introduction to the mysterious world of the Japanese Underground-. by Steve Robinson)

裸のラリーズ:雑誌記事 「リズム&ペンシル」1999年 No.1

[1997年9月のヒロシ氏への電話インタビューより]

・・・だててんりゅうの頃、僕はまだ18でした。頭脳警察の頃はねえ、よく野菜カレー作ってました。ラ リーズの頃は、水谷(孝)君ってのがやっぱり凄くて、どう凄いって言うのかなあ、・・・凄い人でしたよ(笑)でもねえ、村八分のチャー坊とも話してたけ ど、ロックをやる上において、水谷君くらいのこと、村八分とかジミヘンとかでも、あそこまでメチャメチャにやって、やっとフツーって言うか、そういうレベ ルまで達してないバンド多いよな、って生意気にも言ってて(笑)・・・(中略)・・・ニプリッツはギターのZINと始めたんですよ。水谷君も「ロックは長 いトリップだ」とか言ってたんだけど、そういう生きていてトリップしてる、何かわけの判らないものを言葉にしたみたいなのがあるような気がする。・・・ (中略)・・・水谷君も「かっこ良けりゃいいんだよ」とか言ってて、やっぱりそうなのかな、と思う部分もいっぱいあるし、だけど、僕もかっこよくなりたい な、と思いつつ、だんだん変になってきた(笑)・・・(以下略)・・・

裸のラリーズ:雑誌記事 「Quick Japan」1997年 vol.12

裸のラリーズ:雑誌記事 「スーパー写真塾」1993年5月号 P.120~121

裸のラリーズ:雑誌記事 「Studio Voice」1991年10月号(vol.190)p.78

      Cool is Sweet ー遂にCDを出した裸のラリーズー

裸のラリーズが結成されたのは1967年夏の終わり、京都。その後の詳細はここでは省く。
今回発売となったのは、オリジナル・メンバーによる演奏を含む67年から69年の現存する数少ないテイク集、70年京都での久保田麻琴参加の録音と73年 東京でのオリジナル・メンバーによるライヴ、そして77年立川でのライヴをなんと全て完全収録した2枚組、の3タイトルである。
それぞれの時期のフォトを使用したヴィジュアルを含め、この時点までのラリーズの一種のドキュメントともなっている。 とにかくカッコいい。ここに収めら れた音はめくるめくまでに多様で、同時にそのそれぞれが、まさしくラリーズ以外の何物でもないユニークなものだ。その上全体として、部分の和を遥かに超え るトータリティーを持ったアルバムに仕上がっている。
ラリーズの演奏はいつも、リアルタイムで一回限りの即興演奏だ。繊細で激しいヴォーカルを中心として、幾つかのシンプルでポップなコードと伸縮自在の ビートをベースに、歪みと響きそのものと化したギター・サウンド。ノイズとかノンコード・トーンとかいう、音のちっぽけな区別はここにはない。すべての音 は全体と響き合い、緻密に連関し、フィードバックしている。荒々しさと静けさ、優雅と無関心、死と狂熱、集中と爆発、暴力と愛撫、リラックスしたクールな 覚醒。聴く者を突き動かす極端さ。完成度や音楽性とは無縁の緊張のうちに溢れ出す奇想天外で美しい音の洪水は、どんなレッテルも拒否する。
裸のラリーズは、バンドと言うよりも、水谷という希有なパワーを核として、参加者達の、ひいては聴く者すべてのさまざまな幻想を打ち破って深いところか ら姿を現す何ものかがひとつになって、そこに唯一の「裸の」リアリティーを紡ぎ出してゆく、一個の生命体のような印象を与える。それはまさに、この世界に 口を開けた暗黒の裂け目だ。
我々は本当は何者であるのか、秘められた力を解き放ったとき、我々は何者であり得るのかを追求することを妨げるありとあらゆる禁止(タブー)を、ラリー ズは軽々と乗り超え、誘惑し、挑発する。常に脱皮し続け、とどまることを知らずに死の毒を撒き夜を歌い、隠されたものを暴き出してゆくその姿に我々が体験 するのは、自由?愛?あるいは犯罪の愉しみに限りなく近いものだ。
聞くところによると、ラリーズのドキュメント・フィルムが存在するらしい。また、水谷は現在、音と映像を録(撮)り続けており、既にかなりの量が完成していると言う。
この3タイトルのCDは、全身を傾けて聴こうとする努力を怠らない者には、黄金を約束する。聴きたまえ。何度でも、聴きたまえ。さあ、この無上に甘美 で、恐ろしくきびしい快楽に、共に耽ろうではないか。そして熱望しよう、再びラリーズの演奏が聴ける時を。水谷ある限り裸のラリーズは在り続ける。(文= 冴木 弦)

裸のラリーズ:雑誌記事 「Gold Wax」No.11 (1991)


2011-05-27

裸のラリーズ:91年、某雑誌に掲載予定だった原稿

外まで漂うお香の匂いに陶然となりつつ、開場の時間を待ちつづけている。サウンドチェックははじまっていても、ミュージシャンが揃っていることは、まずない。そろそろかな、と思う頃に、やっとドラムが到着ということも一再ならずある。そんな時には、当然、最後の一人・・・・が到着するまで、とてつもなく待たされる。けれども常連は、じっと静かに待っている。待たされる時間がながければ、ながいほどもの凄いライヴになることを知っているから。
'83年の西部講堂では、延々40分のアンコール要求に、こたえてくれたラリーズは日付が変わるまでたっぷりと演奏してくれた。あのときはラリーズ、スタッフ側と我々との根比べだったそうだ。果てたあとには、彼らのいさぎよさに、感動し、また、うちのめされた思いがしたものだった。

中に入ると、咽かえるようなお香の煙と青みがかった美しい舞台、耳に心地よい音楽。ひんやりとした空気を肌に感じる。 暗がりにスタッフのU氏やPAのT氏の姿、グヤトーン の200ワットのリバーブシリーズアンプ、ビンソンのエコーレック、といったおなじみの器材を見出し、安心する。 たしかに、これからはじまるのだ。すべては変わりなく、おちどもなく着々とすすめられていく。そこからがまた長い、が、この時間も、まちがいなく悦楽であった。あるいは、通過の儀礼であるともいえよう、それこそなくてはならないもの。
舞台を横切る人影が、ギターを運び、整えているのがみえる。ということは今到着したのかもしれない・・・。
リハーサル無しで、あの音量というのは驚異的である。スタッフの完璧な仕事にもささえられているだろう。
ながいあいだ、繰り返されてきた歳月の重み、でもあろう。この志操、この固執、に対し粛然とさせられると同時に、畏れを抱く。たたかい、という言葉が静かに頭をよぎる。血を流しながら。
ごく稀に、サムピックを使うくらいで、あのへヴィなギターのほぼすべてを、指のみで弾く。ために、爪を割ることは幾たびもあって、文字通り血を流しつつ弦を掻く姿をみせられ、みじろぎもできない。
所在なさに、運ばれてきたギターを眺めていると、変化がみてとれることがある。それはたとえば――――
SGのペグが、クルーソンからグローバーに変わっているとか、いつものテレキャスターとピックガードの色が違うと言った些細な事であるが。奇妙な生々しさが厳かな気持ちの中に入り込んでくる。ラリーズもやはり同じ時間、同じ現実を通過しているというあたりまえのことが唐突に頭に浮かび、とまどいをおぼえる。が、伝説ではない、たしかに現在を進行している。
そして一貫して、オールド・ギターにこだわり続けているようだ。 エフェクターを駆使しているが、時折聞く事ができる本来のナマ音にそれはよくあらわれている。筆者がここ10年余りに見ただけでも、SGスタンダード、リヴァースのファイアーバードⅠ、ビグスビー・マウントの テレキャスター、ヘッドの小さいストラトキャスター、ダブル・カッタウェイのレスポール・ジュニア、黒いボディのセミアコ、すべて年代の古いものばかりである。’81年に板バネのアームから、ビグスビーのアームにつけ換えられた、ギブソンのSG std は最も信頼する一本なのか。このワイン色のギターをだき、限界まで、ときにはアームのバネがはずれるまで音をゆらしつづける姿に、日本のロックの歴史が凝縮されている。 ギター、エレクトリック・ギターの必然。クリスチャン、ヘンドリックス、おなじように、ギタリストである、日本の誇るに足る・・・・・。
エレクトリック・ギターにおける表現の究極。それを支えるセッティング。――― が、あるとき ―――
アタッチメントのトラブルがどうにもならなくなった。シールドをぬいてマーシャルに直に繋ぐ。のみならず、時間の制限を越えた為に、ハコ側が暴君的に電源を断った時には! なまの弦の響きに合わせて、マイク無しでうたい続ける。形骸化された様式などない。電気すら絶対必要というわけではなかった。シンプルに、真摯なうた、だけが残る。そういうラリーズもあった・・・・・・・。


果てしなく続くかと思われた切ない希求の時も終わり、メンバーが登場する。
―――瞬間、おとずれる闇と静謐。
――― 水谷、 水谷!―――

いきなり耳をおかす轟音。身内の底から、凄凄とした震えが湧き立つ。 あるいは、やさしいうたから、はじまる。あっという間に、いともたやすく溺れてしまう。
曲の順序は前回のライヴと密接に関わっているようにも思える。幾たびも繰り返されてきた夜が、あたかも鎖のように列なり、今日この夜の背後に続いている。

一本の蝋燭の炎が舞台の奥深くで、静かにゆらめいている。めくるめく、OHPの映像 ―――― サンボリスム
の絵画。大伽藍。ロマネスク様式の回廊。人の手が波だたせている暗い水の、生成と消長 ――――。
ひとつひとつ違和感なくはめこまれ、音と融和しているさまは、それは美事なものだ。突如としてドラムセットの後ろから放たれる7色の光芒。その哀しくなるほどに美しい色をもつ光線が、扇の形に放射され、夜を色づけ、そしてとろかしてゆくように、ゆっくりと、消えてゆく。
しだいに、耳が、身体までもが、麻痺していく。 ミラーボールの青白い光の粒が、回転しながら降り注ぐ。暗闇に目を凝らしていると、漆黒が、蒼ざめていくのが見える。
そして一切の、幻惑させられる仕掛けは、最後の曲が始まる頃には、ひとつの、黒点に収斂されていく。
―――最後の一曲 ――― 黒と白の世界。 目を射るストロボの閃光が、目に映るもの全てを、揺るがす。むらがりおこる黒い影が、白く、また黒く反転しつづける。
そして連れていかれる。大音量とは、かくも人を無力にしてしまうのか。時間の停止。“いま”が止まる。
Vivre、つまりライヴの体験することの本質はここにある。共有というにはあまりにも厳しい、孤独な、おのれがいま在ることの、認識。麻痺しつづけていながら、しだいに覚醒していく。暴力的な音圧の中で、このまま世界が終わってしまえよ、と荒々しく願う。 稲妻がおちて崩壊する塔のように。 くだけちり、灰になれ、と。

ライヴに毎回通いつめていた人々は、口を閉ざし語らずとも、皆、奇蹟を体験しているはずだ。そしてとらわれてしまっただろう。
――― 闘牛士の、凄愴な斃死が、眼前繰りひろげられると、そこにいあわせていた観衆は、闘牛の虜となり、生涯通い続ける事になってしまうというが――。
今、ラリーズは、隠れてしまい、沈黙がつづいている。 もう一度・・・・・・。いまひとたび、あの夜、あの闇を。 汲めども尽きせぬ、語り尽くせぬおもいに贅言をつくし、1篇の詩に託して、ラリーズの帰還を切に乞い願う。 


生への黒い帰還   P・J・Jouve(1937)

闇が血よりも深いものであるならば
あるいは、血が闇より深いものであるならば

それがおまえの、赤い血の極限にまで黒くあるよう
ひとが無垢なる夜のなかにはいりこむところ

空間と空間と、それから夜、ひしめきあふれ
その夜が、光を燃やすところ
その夜が、外套のなかの裸身を剥き出し
すさまじい音をたてるところ

虚無よ、夜のなかの否よ、
すべてがうまれたちあがり、あこがれるところよ


裸のラリーズ/1991記事:MUSIC MAGAZINE 1991年11月号

そして我々は、水谷自身の言葉を得ることができた。現在パリに住む彼と、深夜、ファクシミリで交信した。

9月15日午前3時。こちらから交信開始のしらせを送る。20分後、返信が来た。おそろしく胸が高鳴っていた(以下「 」内は水谷の回答、〔 〕は湯浅注)。
「どの辺までが本題かは定かではないが、時間は余り気にせずに行きましょう。こちらの返答が遅くても、驚かないでくれ給え。さて、それでは」
質問、質問だ。質問を送るのだ。

───20年以上にわたる活動の中で、今回初めて裸のラリーズとして単独でレコードをリリースすることになったのはなぜですか。その動機と切っ掛けを教えてください。また、今回のアルバム収録曲の選定は、どのような基準で行われたのですか。
「長くなる話です。全部話す事は到底不可能という事を予め。
これは、実にいくつかの具体的な出来事の組み合わせから始まった。一見何の脈絡もない事柄の組み合わせだ。
2年程前、アイルランドにレコーディングの為、行った。既にあちらでのコンセプトは成されていた。メンバーは元ロンドン・パンクスの連中。色々リハをしたり、音録りをしたが、気に入らなかった。2~3ヶ月やって見切りをつけ、元ジミ・ヘンドリックス〔・エクスペリエンス〕のベーシストだったノエル・レディングと彼の紹介によるドラマー(名は忘れた)と音録りする為、当時彼がいたコークという街へ行った。しかし、これは本当、くだらない話に終わった。当然録音も放棄。
で、パリに戻り、録った音を如何にするか、いったん日本に帰国。何本か持ち帰ったテープをチェックしている内(アイルランドでは録った音をしっかり聞いている暇もなく次の音録りに移っていた為)、突然、文字通り今度のCDを作ることに決めた。普通の意味での脈絡など無かった。大げさな意図も無かった。こちらの言い方で言えば、一種の花火、或いは火遊び。後の現実作業はすこぶるハードなものになってしまったが。
この辺りから水谷のHEADにおけるアナログとデジタルの対決が始まる。
CD作成を決めた時点で、こちらのHEADは既に収録基準は考えずともあった。無論以前から考えていた訳ではなく。但し取り敢えずとしての言葉による基準はオリジナル結成から70年〔代?〕末ベルコモンズでのライヴとした。失われたテープを除いて、この期間のこちらサイド所有のテープは全てチェックしなければ気が収まらなかった。ほぼテープ200~300本(ほとんどが90分ないし120分)全部聞いた。これは素晴らしい期間だった。少々の事では驚かないこちらが、あれほどきついとは思っていなかったので」
所有テープの全部、時間にして400~500時間、裸のラリーズを聴くとは。体験してみたいのは俺だけではないだろう。
今回、3タイトルがリリースされたが、実は『'77 Live』(SIXE0400)と同じメンバーによるスタジオ録音作品集も出す計画があったという(これはどうしても、いずれリリースしてほしいものです)。

───これまでにレコードとして作品を発表しなかったのは何故でしょうか。また、今あえて、レコードをリリースしたくなった背景には、現在の一般的(ロックを中心とした)音楽状況に対する不満/不信があるのでは?と想像するのですが。
「現在のロック(ジャズでも何でもいいが)状況と、こちらがCDを出したのとは、あまり関係ないようだ。むしろ内容的な意味合いから言えば、そうかも知れない。しかし今現在もこちらは音録りは続けている訳で、勿論こちらもいかしたバンドが多ければ、当然嬉しい事だが。まあ色々な連中とやってみたが、テクとコピーが殆どというのも事実で、これは白ける。
〔今回のCD化で〕アナログ音とデジタル音での格闘が始まったのも、君の言うこの辺の事情と関係があるかもしれない。今度のCDは、アナログからデジタル変換の時点でスタジオにこちらも入りっぱなしで、簡単な言い方を使わせて貰うが、まるでいかさないデジタル音を徹底的に壊して源(ママ)音に近づける作業、これはスタジオのエンジニア連中には相当ハードな作業だったが、出来得る限り努力してくれた結果出来た音だ。そのために切り捨てなければいけない部分もあったには違いないが、デジタル音というのは手こずるものの様だ。
又、話はとぶが、今に限らずレコードは出したい時、出すであろう。今後も含めて(全然出さない事もあり得るが)。
さあ、もっと続けようじゃないか」

───最近の活動についておたずねします。日本国内でのライヴ活動は休止中ということなのでしょうか。それはなぜですか。現在パリでどのような活動をなさっているのですか。先ほどのノエル・レディングとの録音とはどういう経緯から計画されたものですか。また、そのくだらなさとは?
「移ろわぬもの 甘美なもの
移ろわずして 尚 甘美なもの
移ろいやすさの内に見る甘美さより一層厳密な何か
夜の領域 空間と次元 それから逸脱
結果としての逸脱 意図されなかった逸脱
あらかじめ意図された逸脱が成就された時
逸脱はあらかじめ予定された軌道に
最早ないであろう」
この返信を受け取ったとき、すでに開始から6時間余が経っていた。

───なぜ裸のラリーズ結成を思い立ったのですか。さらに、そもそも自らギターを持って音楽をやろうと思った動機とは? それともうひとつ。裸のラリーズ結成当時、精神上または表現上で刺激を受けたり、何らかのかたちで指針/手本とするミュージシャンやバンドがあったのですか。もしあったのなら、それは何ですか。
「当時、水谷は(現在もまあそうだが)友人もしくはお仲間はどちらかと言えばミュージシャンよりも、絵描き、詩人、カメラマンと称する様な連中が大半。モダン・ジャズの店にたむろしていた。こちらがもし何かに影響を受けたとしたなら、彼らとの遊び、会話、その他諸々からである筈だ。それらは常に刺激的であった。また、常に刺激的であるべきだ。そして、ミュージック…。と言う訳で、常にジャズを聞いていた。コルトレーン、アイラー、マイルス、コールマン、よくある平凡な話だ。当然だが彼らのジャズが平凡な訳はない。刺激は受けたであろう…。
裸のラリーズ、これはロックだ。こちらのロックに手本はなかった。4人揃ったところで文字通り(当然楽器を持って)水谷のエレクトリック・ギターがフィード・バックした瞬間にとるべき方向は決まった。ついでに言っておけば、ギターだけ持っていた訳ではない」
初めにフィード・バックありき。『'67-'69Studio Et Live』には、そんな裸のラリーズのエレクトリック・ギター衝動というべきものが詰まっている。
なお特に挙げるなら、このころ、ESP・レーベルから出ていた諸作品は非常に気に入っていたという。

───68~70年の作品を聴くと、個人的には、ジャックスの早川義夫氏の作品に近いエネルギーを感じる瞬間が何度かありました。早川氏に対しては、どのような感想をお持ちでしょうか。
「全然。それ以外言う事思いつかず。君には申し訳ない事ですが。更に続けよう」

───ところで、裸のラリーズの曲には“夜”を歌ったものが多いですが、その理由とは?
「夜、自由、夜の魅惑。当然、夜が好きだからに決まっている。だが、その理由を述べることはできない。こちらごときには許されない事だ。夜に対して、敬意と礼儀は守るべきであるから」

───では、水谷孝にとって“太陽”とは?
「めまい
能動と受動
創造力は夜明けの太陽とともに消滅する
愛すべくは、沈む太陽の真紅の血の色
それは眼にしみる そして何かが目覚める」
見せかけの光明の中で、世界はまがいものを量産しつづけている。裸のラリーズにとって、夜とは静止した暗黒ではない。破壊と構築が繰り返しなされる創造のブラック・ホールだ。そこには過去と未来の区別はない。破棄と構築、過去と未来、正と負、相反するものはことごとくフィードバックしあっていくものだ。
裸のラリーズの音楽は、確実に極点の表現物である。だが、そこには、音楽に限らず、“人は何故表現活動をしつづけようとするのか”といった根本的命題に対する解答への探究心が蠢いていはしないか。それはまさに、観念を乗り越えようとする勇気だ。

───それでは裸のラリーズにとって“勝利”とは?
「名声、名誉、それらどれもくだらないものだ。敗北の中にも勝利はある。こちらにとって勝利も敗北も関係ない。敗北したからと言って、それがなんだ。こちらはすじを通す為に戦い続けるであろう。もし勝利という言葉があるならば、それを意味するであろう」
我々にとって、裸のラリーズ=水谷孝は、ロックにおける<謎>でありつづける。しかし少なくともこれだけは言える。裸のラリーズのフィードバック音の渦の中には、何ごとか(それはキャッチする者それぞれで違う)に対する<確信>が屹立しているのだ。それは泡のごとき日々を生き続けるための、ひとつの厳密な力の素なのである、と。
現在、音楽だけではなく、映像も製作しているという。さらに70~80年代かけて撮った、ライヴを中心としたフィルムをなんらかの形でまとめる計画もなきにしもあらず、と聞く。しかし、過去二十数年のように、まったく発表されないかもしれない。

───今回のCDリリースで、これまで名前だけ知っていながらラリーズの音を聴いたことのなかった人々が、改めて裸のラリーズの存在の重要性について考えさせられている、という話をよく耳にします。存在の重要性に改めて思いを馳せるということでは、かねてからライヴに足を運んでいた人々も同様のようですが。そうした新しい体験者、両者それぞれにメッセージを。また、現在、注目している人物はいますか。
「時代は変わっても、こちら(ラリーズでもいい)は変わらない。とどまり、進み続ける。そして両者の間に壁があるとするならば、それも壊してやろうじゃないか。
〔注目する人物に関して〕現在に限定することは不可能事に近い。注目すべき人々の名を挙げておく。リヴィング・シアターのジュリアン・ベック、マンディアルグ、ジャック・リヴェット、それから君達すべて」

東京-パリ、水谷孝とのファックス・ランデヴーは10時間半にわたった。深夜だった東京は、終わったときには真昼間になっていた。
それでも、もっともっとラリーズを。
と、俺は覚醒したまま街に出た。