私が2001年の春の L.A.M.E. という小雑誌の推薦リストで裸のラリーズのことを書いて以来、よくこの知られざる日本のバンドの入門にはナニが最適か、という質問を受けるようになった。 それでいつもわたしは、彼らのレコードは殆どが海賊版で容易に入手する手段はないから、入手可能な時はそれが何時、何処であろうとも手に入れるべきだと答 えることにしていた。 しかしこのアルバムが再登場した今、その悲惨な状況は少し改善されつつある。 実際に HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY は主に、今年の始めに出回った LIVE '77 の2枚組ビニール盤の音質を加工し改善したものだが、しかしこのカットは全体にもっとラウドだし、ジャケットはもっと良く、そしてこれにはトビッキリの 1973年の "People Can Choose"が含まれているのだが、これはメチャメチャにキャッチーで、そして他じゃ見つけるのが難しい曲だ。
Know Fun
もし君が伝説的な Electric Eels(*) や70年代中期のクリーブランドのバンド、または初期の Jesus & Mery Chain や Velvets の WHITE LIGHT/WHITE HEAT などにおける反復するコードに潜むロックンロールの破壊性を好きなら、このアルバムはたまげた夢が現実になっちまったって事になるだろう。 HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY は 君のおばあちゃんの時代のしわ伸ばし機械や、建築現場のコンクリート・ミキサー越しだろうと、そして、通常10時のニュースまでは止まない Barrow-in-Furness 製のエアコンの中でさえ、ソリッドでキャッチーなレコードだ。 時には、ニール・ヤングが ZUMA でやった WELD スタイルの高音バージョンのように明白で重々しく、また時には、水谷はリード・ギターを通してルーリードやジョンケールとのチャネリングをしているみたい ですらある。 そして常にそのカオスは、“Sally Go Round the Roses”や “Stand By Me”または君が「そんなスタンダードをやっていいの?」と聞きたくなるようなスタイルの、とびきり上等なリフの上に繰り広げられるのだ。
皮肉屋に言わせれば、裸のラリーズの偉大なところは、単にレコードの音質が歪んでいてどうしようもないところだとなるかもしれな い。 しかしラリーズのリーダー水谷は彼の音楽の女神との交信の高度に限定された方法を選択したのであり、私は彼のメタファをよろこんで受け入れるし、ま た君らもそうすべきである。 もし彼がその全てを否定し、そして「でも君たちはスタジオ・バージョンを聞くべきだよ」と主張するなら、わたしも困ってしま う。 しかし幸い水谷はライブ・ショーの貧弱な録音メディアについて異議を唱えてはいない。 証拠にラリーズのもっとも有名で完全なオフィシャル・アルバ ムである LIVE '77 の音質でさえ明白に Little Johnny Jewel 以下である。 そう、彼らの音質のすごいことには、 わたしが去年の AUDIENCE WITHE THE COPE 2001 ツアーで Sheffield Memorial Hall でこのアルバムをかけた時のことだが、PA屋のボスは、わたしが彼がナニをしているか気づいてそれがこのレコードからの筋違いのノイズだと指摘してやるま で、半時間をかけて電気回路の故障部分を探しつづけていた。 もし君たちが Pere Ubu の Street waves" の聞いた事がありそうで、他に聞いたこともないリフや、 Chrome の HALF MACHINE LIP MOVES の最初の10分間の、昨夜キミの妹がドライヤで髪を乾かしてる間にラジオでなってたStooges みたいな効果が大好きなら、野朗ども、君の真に新しい好みのバンドにようこそ。 裸のラリーズは魔力の再臨によりリマスターされた特別の曲とともに、わた し達が住んでいる複製された細密な全ての世界の明白な証拠であり、今日においてもなお意固地に無名の中に潜んでいる最も偉大なロックンロール・アーティス トのひとつだぜ。
今月のアルバムにふさわしい裸のラリーズは間違いなく素晴らしい興奮であり、彼らのリーダーである、黒い服を着て口紅をつけた水谷孝そのものに違いない。 水谷は彼自身を撃ったり、またはバンドの全てのテープを燃やしたりまではしないまでも、彼自身と彼の仲間たちを全てのロックンロールの忘れ去られた場所 へと導くために、考えられる限り全てのことを行った。 しかしロックンロールの情報網は常に超現代的な洞窟居住者達のもっとも異質な群れにより殖民が続け られており、髭ズラの古代発掘者や、偏執狂的な神話収集家達、そして結局は我々が彼の音楽の女神を発見することを水谷は理解すべきであり、 たとえわたし や Seth Man(*)のコミュニケーションが衰えたとしても、次の世代がヨーグルトの容器の糸電話と、教えられた長い糸を手にするだろう。
(*) Electric Eels は'70年代のクリーブランドのバンド。
(*) Seth Man はコープ氏のBBSによく出頭している知られざるロック・オタクの名前。
Know Fear
しかし、わたしはみんなに、そのような直観的な経歴のない首謀者達の群れを創出した歴史について少し語るべきだろう。裸のラリーズは「リリースしない、イ ンタビューしない、ツアーもしない」というポリシーをたまたま誤って選択したのではなくそれはとんでもないことだったのだ。 いいや、裸のラリーズは京都 で結成され1967年、当時の日本の政治及びポップミュージックの両方に対する精神的反発からの深い目的があった。 初期において彼らはグループサウン ズ・シーンの全てのバンドを嫌った。 グループサウンズは日本のバンド、例えばモップス、ジャックス、ゴールデンカップスなどにつけられた呼称だが、ブリ ティッシュやアメリカン・ビート・グループに深く触発され、それに彼ら自身の日本的な部分を加えたバンド達である。 本当のところそれらの多くのバンドは とても素晴らしいし(今再度検証すれば)彼らが西洋から吸収した部分に独自の多くの感性を追加しているのがわかる。 実際ジャックスをもっともらしくラ リーズのサウンドの源泉であるとか、スタジオで録音されているとか議論したりするかもしれない。しかし好都合なことに、水谷や彼のギャング達は否定者の群 れであり、グループサウンズ・シーンとはフランク・ザッパを聴いているルーリードより緊張した関係にあった。 そして反響の無い中で彼らが創りだしたもの はまぎれもない創造性のナイルの氾濫であった。
政治的にもまた、水谷と彼の最初の共謀者達、加藤と Tada Takashi(?)、はグループサウンズのバンドの厄介な文化的叩頭(cow-towing)を発見している。そしてもっとコマーシャルな東京のポッ プ・シーンに乗り出すのに対して、ラリーズは古風なそしてもっと小さい都市京都に留まることを好んだが、そこは日本の前の戦争でマッカーサーとの間で交わ された米国との軍事同盟である安保条約の改定に対して過激な学生たちが反対しているところでもあった。アメリカのベトナムにおける軍事行動がすでに日本に も影響を与えていた時期である事は思い出すべきで、それはベトナムからのつかの間の休憩に訪れるG.I.達 にとって、簡単に気を休めるわけにはいかない場所であった。実際に、日本列島の最南端にある沖縄の最大の米軍需基地は日本人の対決と不安の無法の種と化し ていた。
Barricades-a-Go-Go
東京キッドブラザース舞踏団についてわたしのエッセイで明かしたように(前回の今月のアルバムを参照)日本の最も成功した異議申立ての表現は伝統的に舞 踏、そして劇場からから生まれ、そこに音楽が含まれるというものだった。 経済的変化が日本の産業化した南方の島々や北方の劇作家、俳優、そしてフォー ク・ミュージシャン、例えば J.A. Seazer 三上寛、 そして必要の無い日本の西欧化への反論を述べ強力な存在となった寺山修司などの人々に影響を与え始めていた。 それは裸のラリーズが京都をベースとする比 類無き過激なアバンギャルド劇場、つまり現代劇場に関与する時点でもあった。 しかし J.A.Seazer とは異なり、言葉と舞踏が慎重に統合され叫びや嘆きの周期になじみやすいとしても、水谷の音楽は唯我独尊的な点において譲歩なき強烈な闇であった。
現今初期のラリーズの音楽を聞きながら、そららの上にギャーギャー押し付けられる現代劇場の可哀想な踊り子たちについて考えるのは、とてつもなくヒステリ アスなことだ。 現在入手可能な19分のフリーロック CD-single"Smokin' Cigarette Blues" は現代劇場の舞踏を論じる上での完璧な例である。"Smokin' Cigarete Blues" は、あなたが想像するように Velvets 影響下のPost-Frat(*) ロックであるにもかかわらず、まったくブルージーではない。不整脈に近い、洗濯機の中のBuddy Hollyのようなフリークアウトがかもし出すうつろで普遍なタムタム・ビート、水谷とその時期のベースプレーヤー Nakamura Takashi のひっくり返したような再現不可能なロックのリフは口やかましい、そしてオーデンとロキ(*)の様にお互いに非協力的だ。 そして全ての不協和音が恐るべ きそしてユニークなグルーブを創造しているにもかかわらず怒り狂ったハーモニカとタムタムの上に落ちていく時点において、ストレイトと呼ばれるラリーズの マテリアルの音楽的断片がこころをとらえて離さない。
この拒否と反戦の時代は、厳正な非商業的立場をとるラリーズ、そして水谷にとっての形成段階であり、これが(from here-on-in?)、実質的に彼らを宿命づけた。 1969年、Barricades-a-Go-Go として知られる京都大学での反戦コンサートに出演し、そしてこれ以降 Arther Lee の Love の取り巻きのような田舎じみた態度を取るようになった。 商業主義的な目で見るものはたとえ誰でもが、すぐにラリーズから追い出され、メンバーの一人が 1970年の悪名高いよど号ハイジャック事件に関わることにより水谷自身をも凌駕した時もであった
今では水谷は、現在全て黒のレコードジャケット、Katie Puckrick(*) 的髪型、そして彼の強力なトリオ不失者の華麗な獣性で有名な、同様に黒装束の灰野敬二と仲が良い。 1971年灰野はロストアラーフとして知られるフリー ロックアンサンブルを構成していた時期にラリーズと Trip Festival で演奏した。 不運なことに水谷が灰野の女友達をとったために二人はケンカし友情は終わった。 そして灰野敬二がコマーシャル路線から強烈な非難を受けて いる間、水谷はラリーズを日本のアンダーグランド文化へ、そしてかつて存在しない故意に無名の地帯へと導き出していた。 バンドメンバーはラリーズとして 記述するには余りにも度々入れ替わり、時には三人、四人、そして1980年代初期にはラリーズのリズムには多分 'skank'(*) の影響が現れる。 しかしその他、裸のラリーズのファッション、彼らの限られたライブの曲構成、そしてその配布のマナーは決して変わることがなかった。
数年前、ラリーズについてのもっともアンダーグランドなフィルムが流出し、そしてかろうじて見るに耐える驚くべき正確さで、彼らの全てに対してアンチであ る姿勢をとらえることができるようになった。 第三世代の DA Pennebaker の Don't Look Back のランダムなカットのビデオ・コピーを、1997年に National Film Theatre で見た Amon Duul 2 の Phallus Dei のフイルムと同時に見ることを想像してみてくれ。 それでもまだその半分くらいだ。 わたしが話しているのは、口の動きが同期していないとか、対話がない とか、サウンドトラックをいつでも黙られるクレジットについてだ。 もし君がアンダーグランド映画館の新しい最低を求めるなら、ラリーズのフィルムは全て の賞を得るだろう。
(*) fratはアメリカの大学生倶楽部のことなので、その学生達が聞くような音楽かな。僕のイメージとして(アメリカ人ではないので)、ワイワイとビールを飲 みながら楽しんでいるスポーツ派の奴らばっかり。そいつらの聞くロックは何でしょうかね。Ted Nugent? Kiss? Kansas? それのポストって感じでしょうね。
(*)オーデンとロキは共に北欧神話の神。
(*) Katie Puckrickはイギリスのテレビに出演しているカナダ人の女性キャスター。Pet Shop Boysのツアーによくダンサーとして登場するらしいです。
(*) 「skank」は普通に「レゲエ風のビート」という意味ですが、ここではどうでしょうか。「非ロック的なビート」かしら。ちなみに俗語ではブスの意味もあります。
Strong Out…
これらのラリーズのレコードは故意にプロモートもされず、そして長い年月の間放っておかれたので、水谷の成果に対する正式な年代順の批評を試みるのは、古 代アイルランド人をローマ・カトリックに改宗させるよりも難しい。 そしてたとえそうであろうとも、 HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY はイベントから長い期間を経て、こっそりと出された多くのラリーズのライブアルバムのひとつである(たとえ、バンドのいくつかの超不明瞭なバージョンが幾 人かの日本人信者の聖地の山々の中においてアコースティックで演奏されているのが正しい可能性があるとしても)
率直にいって、わたしが聞いたスタジオ録音はまったくこころを惹かれなかったが、Nico の 45回転シングル "The Last Mile"(*) や初期の Felt そして Velvets の三枚目などの間のどこかにぶらさがっていた。 彼らの 67-69 STUDIO ET LIVE にはカズー(*)のソロのある曲が収録されてさえいる。 しかし信じてくれ、それはわたしがここで最高に支持する裸のラリーズの一面ではない。 いいや、 わたしを夢中にされているのは三枚のビニールLPと7枚のCDに含まれる本質的に異なったコレクションであり、 それにはかつて寝室で撒き散らした最高の psycho-chandy-assed なサイケデリアが含まれている。 さよう、わたしにはラリーズの完全なコレクションを得る手段がない。 しかし誰か可能だろう? このバンドのファンでい ることは、うろたえることとフラストレーションを学ぶことである。 しかし手引きにはすでに充分である。 HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY を手にとってみようじゃないか、彼らのリリースされた中では、もっとも密集したコンピレーションを・・・
(*) The Last Mile はニコのロンドン時代のデビュ・シングルで、当時スタジオ・ミュージシャンだったジミーページがプロデュースと12弦ギターを弾いている。 また Felt の 1'st はギター&Vo の後にドラムを録音したらしくて、リズムがズレズレ。 多分ここでコープ氏は自分の嫌いなタイプとして VU の 3rd と共にあげているようだが、どれも訳者本人としては好きなだけに・・・複雑・・・
(*) カズーが入ってる曲ってあったっけ?
Album of the Month
この音楽について記述するべき点は、印刷用紙(foolscap 道化の帽子の意味もある)半分ほども無い。 君は単純にこれを愛するか嫌うかのどちらかだ。 明白なことだ。 なおまた、わたしの親愛なる翻訳者 Annexus Quam 夫人である Yuri AKA がわたしに教えてくれたことによると、水谷の言葉は、押し黙った(dumb-dumb)6月の月の下での(moon-in-June)キスをしているよう な(kissy-kissy)感じだが、それは外部のなお外部(out-and-out)の政治的で、文化的拒絶に由来する、故意によるものだという。
第一面はずっしりとしたカギ状(hooky?)で、Booker T の "Green Onions" から "Las Veags Basement" にかけての crawl(?)に見られる、重い15分間の足取り(plod-a-thon)の“Strong Out Deeper Than the Night”で始まるが、それは水谷の恋人にささやくように、そして弱々しく泣くような広くエコーのかかったボーカルで始まり、そしてその自身の答えとし てのナパーム・ファズ・ギターが炸裂する。 それは全ての16歳が演奏する即席のコード進行のたぐいの回りに、まるで終わりの無い重い足取りのようで、そ して彼が真実に向かって始めた瞬間を捨て去る。 勿論ここは水谷ランドの中、それが第一面の全てを占めている。
続く“The Night Collectors”、風ふくトンネルの中での La Dusseldorf の "Virginia Plain"ようなから、 第二面が始まる。 再度、ズッシリとしたキャッチーな、そして超単純で歪みきった(distort-o-fest)、ここでは8分のオートバンでの無謀な ドライブ、水谷のリード・ギターはナイアガラの滝の中に聴く者を包み込む。
そして? 確認するなら、言葉を失ったわれわれは暗闇の隠喩を逃しはしない-それは "Night of the Assassins"、彼らの全てのアルバムで取り上げられているラリーズのスタンダード、そして基本的に地獄からの "Stand By Me" だ。 Ben E.King の1968年のバックバンドが巨大な花崗岩のくずれた斜面を波乗りしているのを想像してみてくれ、彼らのあわれな雇い主のことなど考えないで。 殆どの ミュージシャンを、まさに水谷博士が注文したズタ袋におしこんでしまう shucking や jiving (ジャイブ?)の12分間 が明確にここにある。 潮の満ち曳きのようなギターの炸裂は時間の栄光に照らされた妙に甘ったるいリフからかつて無い甘美さのしずくを撒き散らす。 Television の "Prove It" を最初に聞いた時、 君がそんな伝統的な部分をバーラインからどんなふうに受け入れたかを思い出してくれ。 それだけのために、極端に型にはまらずに、すっかり失望しただろう か? そう、君はここでは、まさにそれと同じだ。 水谷は最初に Ted Nugent の驚くべき the Amboy Dukes の入り口 "Journey to the Centre of the Mind" のようなギターソロから入る。 でも Nuge(Ted Nugent)のようではなく、水谷は完璧にグループの目的地への制御の中にいる。 そして暗闇のこころへのこの片道切符はハンサムな旧式自動(*)から は決して作られたことがない。
第三面はもうひとつのラリーズのスタンダード、"Enter the Mirror" として知られるスローな Velvets 的ドローンな曲から開始する。 さてわれわれはここでせいぜい2つのコードのことについて話しているが、ベース・プレーヤーはそれでもそれを間違えてい る。 彼はその方法を上品に感じながら、11分後でもまだ暗中模索している。 そこにはコーラスの為の第三のコードがあるのだが、しかしバンドは明白に ベースマンを信頼していなくて、それで彼らは、彼がやり過ごせないように三度の無骨な糸口をかれに与えている。 これはわたしが曲を掘り下げていないみた いだろうか? そうわたしは自分のケースを大げさに言っているだけで、なぜならわたしはこれが好きだ。 "Enter the Mirror" は「荒々しい石の遺跡」と表現されてきたような古代の遺跡の粗暴な方法であり、これは根源的、そしてあからさまな荒削りである。 このラリーズの男は モー・タッカーがドラムを演奏するようにベースを演奏し、完全な無知を通して曲をひっくり返し、しかしともかく結局は音楽的裏道と裏庭の第二の等価なメロ ディを通して、とても良い遠回りによりルート音へと回帰する
第三面は “People Can Choose” の呼吸の美しさにより閉じられ、メジャーリーグ級のヒズミの10分間、はねあげるシンバル、壁を登るベース・ライン、そして再度オン再度 オフのギターの激痛、明らかにかつて聞いたに違いないリフという思いを序々に衰弱させ、ついにはその立体的な靴ヒモが叙事的な Pretty Things の "On The Road South" からの盗用を勝ち取る単音のマントラと同様な中へと発射される。 そしてこのトラックの(チクショウ!)音質にもかかわらず、これはアルバムでのわたしの 一番好きな曲に違いない。 不運にも "People Cna Choose" の唯一もうひとつのバージョン、それはなんとか見つけたが、致命的なラリーズの映画においてで、わたしはそれについて語ったっけ? そして(控えめにも) このバージョンは200倍はいい!
アルバムの最後の面は曲がまだ完成には近くないキミの全ての人生のように砕け散る。 "Ice Fire" の16分間はフリッパーの叙事詩に割り込む、いつもの瞬間のように響く。 "Sex Bomb(MyBaby Yeah)" でもそうはならない。 これはリフの地獄、Stooges の "Funhouse" や Joy Division の "Wilderness" のような力強さ、しかし水谷のヒズミのフェスティバルにより記された図太い永遠の中に走り書きされている。 瞑想的であることに容赦無く、有用であること に円筒的。 わたしはその風のトンネルの中に立つベースプレーヤーになりたい、あのレベルの激しい怒りの中に固定されたまま。
(*) ハンサムな旧式自動 とは勿論 Ted Nugent のこと?
In Conclusion
この「今月のアルバム」はまさに、キミやその仲間達の人生や時代の最初の経験である。 多分この幾分かはレコードジャケットをめくり、そして少しは深みを 知っているようなロックの考古学者たちを刺激するだろう。 もしキミが HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY が手に入らないなら、わたしはあなたに LIVE '77 を探し出すようにというだろう(最近はダブルCDとダブル・ビニール盤のどちらも再度入手可能だ)、または LIVE 1973、これはごくタマに FIELD OF ARTIFICIAL FLOWERS 名で出ている。 ジャケットは本当に上等の得たいの知れないやつで、多分キミはどちらにしろそれが欲しくなるだろう。 さらも水谷はそんな許容しえるロッ クンロールのコードを使いながら、決してキミがノイズの中に溺れないような彼のフリークアウトを塗りつぶすように構成し、この灰野敬二のような方法は彼の 聴衆に常習者のように受け入れられている。
しかしわれわれは水谷をどのようにロックンロールのリクタースケール(地震の規模を表示する10段階)に登録すべきだろう? わたしは誰かが電気を使っ て、ロックンロールの神殿に正しく彼の場所を与えるに足りるように、そしてわれわれ先進的野郎どもがしっかりと彼の作品を買うことが可能になるに値するよ うにすべきだと結論づける。 さて、水谷のラリーズにおける作品は、決して同時代の彼の演奏を体験した日本の聴衆に火をつけなかったし、そして未来のいつ かにおいてもそうはならないだろう。 疑いなくそれはわたしにとって70年代初期の日本において紅い口紅をつけた誰もが、そしてグループの中の飛行機のハ イジャッカーを数えても、Bob Mould の畑を耕しはしないだろう。 そして今わたしは、この sucker が或る日わたしの道を必ず横切るのを確信しているし、そして読んだり聞いたりする時間がある全てのやつらの上に容赦なく押し付けられるだろう。 そして必 然的道理として、わたしはいつか、水谷が Klaus Dinger や Damo Suzuki や色々な“決してよりは後に良い(Better-late_than-never)”ロックンロールの聖者達の群れに連ねられるスタンダードな音楽家の名 前となることを結論する。 わたしは回収されたわたしの本から1999年の引用とともに終えようと思う。
“Through the filtered or domino effect of behaviour-rubbing-off-on-others, the one who dances at the world’s edge eventually infuses the spirit of even the most central figures of society.” ”フィルターを通した、または他の摩擦のオフ・オン効果のドミノ効果、結局はもっとも中心的な社会の姿を平均化させる精神を吹き込む世界の果てにおいて踊 る誰か” Right fucking on, or watt! さてやっちまおうぜ、それともナニ!
Footnotes:
1. わたしの友達のロック批評家が言うには、わたしの L.A.M.F. アルバムを聞いた時、 ラリーズの"The Last One" のサンプルを特集したとき、彼はやり遂げれなかったという。 勿論彼は "The Last One" に最低6つの異なるバージョンがあることを知らなかったが、そして数年後でも、どのように着手すべきかというところにまさに留まってはいなかった。
2.特に Annexus Quam の親愛なる奥さん Yuri に感謝、彼女はわたしの翻訳家として、そして全てにおいて著しく不明瞭な日本の概念の説明をしてくれた。 同様に Trevor Manwaring にも感謝、 彼の終わりのない会話が非常に寄与してくれた。 そして David Keenan 彼は真に先行思考な野郎だ。
Les Rallizes Denudes
Heavier Than A Death In The Family
Released 2002 on Ain't Group Sounds.
Reviewed by Julian Cope, 03/09/2002ce.
Recorded live in concert between 1973-77.
Side 1
Strong Out Deeper Than the Night (15.32)
Side 2
The Night Collectors (8.30)
Night of the Assassins (12.04)
Side 3
Enter the Mirror (11.30)
People Can Choose (10.32)
Side 4
Ice Fire (16.12)
[ 訳出:よしのさん、sevenさん ]
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