2011-06-02

裸のラリーズ:雑誌記事:「Marquee Moon」012号(1983年)

 バンド結成は'67年11月京都である。裸のラリーズは水谷孝の観念がバンドという形態を とっているため、彼さえいれば裸のラリーズであってメンバーは幾度も替わっているが、サウンドは一貫してサイケデリックである。'73年に彼らが活動の中 心としていた吉祥寺のライブハウス"OZ"が閉鎖するため、この店でずっと録音されていた音をレコードに残したが、その2枚組アルバム "OZ DAYS" の片面にその足跡を残すのみで、簡単に表には出てきてくれなかった。82年に山口富士夫が加わった時、レコードが出るという噂が流れたがマスターテープま で作ったらしいが、やはりというかついに今まで出ていない。
サウンド的にはやはりヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影響は否定出来ないが、今の音は彼らの2nd を超えていてアコースティックなナンバー(彼らのステージで中間部に演るアレ)にその影響が感じられる。ラリーズのライブは彼らの登場する30分前から始 まっていると言っても良いだろう。彼らは開演を必ずといってよいぐらい遅らせて、その間延々とテープを流すのであるが、例えばPOPOL VUHのノスフェラトゥであったりアギーレであったり、センスの良いレコードを聴かせてから登場し、登場した以上、徹底的に演ってくれる。色々なバンドの 出るコンサートなどではその持ち時間を完全に超えても電気をつけられても演る。ビジュアルな面でもスライドを後ろに映したり、とんでもなくサイケデリック な照明を使ったりと凝っている。
比較的大きいステージでは、全体がオーロラの様にキラキラと光りながら包み込むように回って、そのエコーだらけのボーカルはそれでも良く聞こえ、まるで 煙のように立ちこめる。最後の語尾をするどく切る歌い方は断末魔に似て、一度頭の中に入るとくるりと一周してから出ていく。ベースとドラムの延々と続くリ フの上をあのギターがギャ~~とうねる様は見事としか言いようがない。
そのギターだが、水谷のギターはもっともっと評価されて良いと思う。それこそ長い間演ってきた奴だけが出せる音だ。色々と研究され尽くされたと思えるそ の音づくりはなかなか相当なもので、グヤトーンのアンプと共にシステム化されていて、不動のセッティングのようである。まるで覚醒を促すかの様なギターの 強力な爆音は、演ろうったって出来るものじゃない。そういった意味で水谷孝のギターは凄い。ああいった音は作れたとしても、あの雰囲気というかフレージン グはラフなのだがとてもよくマッチしていて簡単には出来ない。また、たまにマイクスタンドや体にぶつかったり故意にぶつけたりして出す音が実にうまくコン トロールされていて絶妙である。小さい、例えば屋根裏などのコンサートでは又、ホールなどとは違った感じでエコーのかかりきらない、こもった感じのない 荒々しい感じで大音量を奏でる。そのあまりの音量は演奏の終わった数日後まで余韻を耳に残してくれる。山口富士夫の加入前後に参加していたサックスはス テージの隅の方でサックスを口にくわえたまま音を出せないでいる。凄い緊張感である。ステージでケリが入ることもある。中央にいる水谷はまさに "NOIR の帝王
" である。
 数々のアンダーグラウンドのバンド達がメジャーからデビューしていく なかラリーズだけはその姿を表に出すことをせず雑誌などにも出ることを拒んでいるように、真の本物は簡単には表には出てきてはくれない。もう15年以上も バンドを引っ張っているが、相当なエネルギーが必要だったはずである。ラリーズは何処へ行くのであろうか?近代の宿命の象徴としての「否定に呪われたナル シシズム」というひとつの必然によって貫かれて、そしてそれには完結は無いものと思われる。(榎本リュウイチ)

0 件のコメント:

コメントを投稿