裸のラリーズ。それは闇に封じ込められた、ひとつの廃虚である。この巨大な廃虚を前に言葉は無力だ。戸惑いと眩暈、忘我と回想、そして絶対的喪失感。
裸のラリーズは67年に水谷孝(Vo, G )を中心に京都で誕生した。既に20年以上にわたり活動を続けているが、その間、山口冨士夫(G)をはじめとしてメンバーは目まぐるしく変わっているが、ラリーズ=水谷と呼んでも差し支えないだろう。
70年代初頭から活動の場を東京に移し、政治の嵐の中で生まれた、当時のアンダーグラウンドのバンド、ロストアラーフ、頭脳警察、紅とかげ、ジャック ス、村八分などとともに日本のロック・シーンの一極を占めた。が、熱い季節の終焉とともに他のバンドは消え去り、ラリーズのみが生き続けた。それはある意 味では当然のことで、ラリーズつまり水谷のスタンスが他のバンドと完全に異なっていたからに他ならない。ラリーズは始めから既に完結した一個の「絶望」で あった。そこには進化も退化もなく、上昇も下降もない。あるのは隔絶した無言の闇のみ。時代の動きや音楽的流行などとは完全に無縁なのだ。だからラリーズ の音楽について、演奏がヘタだとかワン・パターンだとか言うのは見当外れもいいとこで、そういうむさくるしいものを超えたところにラリーズは最初から屹立 していた。全てを削ぎ落としたかのような痩身と彼方を見やる目、抑揚の少ない声は深いエコーに包まれ、ギターは脳神経の一本一本と共振するかのように歪み 捩れている。その音の寒さ青さはヴェルヴェット・アンダーグラウンドを確かに凌いでいる。
海賊テープは山ほど出回っているが公式の単独作品は全くない。故間章などの尽力で10年以上前に海外で発売されかけたりと、今までに何度も話は持ち上がってきたが未だ実現していない。こいうロックが今後再び出現するとは到底思えない。
数少ないライブには、どこからともなく夜の子供たちやって来て「時」を共有する。彼らが参加したオムニバスLP「OZDAYS」も今では入手不可となっている。
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