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2011-06-02

裸のラリーズ:雑誌記事「ヤング・ギター」1973年12月号 Oz Last Days


裸のラリーズ:その他 OZ LAST DAYS 1973年8月30日のチケット

(この日の実際の出演者:瀬川洋とニューダイナマイツ、カルメンマキ&オズ、タジマハール旅行団)

裸のラリーズ:その他 1972~73年の「OZ」出演バンド

あくまで出演表によるものなので、実際の出演者とは違う場合があります。
バンド名等は当時の「ぴあ」の表記によります。
このため、同じバンドと思われるものでも表記が違うものがあります。

1972年

10月
10 ビーインムサシノ/南正人
11 スーパーヒューマンクルー
13 マーザー(レコードコンサート)
14 裸のラリーズ
15 クリエーション
17 こうもり飛行機
18 安全バンド
20 ベルベット・アンダーグランド・レコードコンサート
21 南阿佐谷ブルースバンド
22 四人ばやし
24 タージ・マハル・トラベラーズバンド
25 ミスタッチ
27 現代音楽レコードコンサート
28 バナナフィッシュ
29 幻ズ
31 エンドレスライフ

12月
12 シバと品川寿男
13 ライトメッセージ
15 プライベートフィルム上映会
16 李世福グループ
19 タージ・マハル旅行団
20 イエロー
22 パレスチナ連帯上映会(カンパ+ドリンク)
24 OZオリジナルメンバークリスマスパーティ ゲスト:南正人他
26 グルービーサウンド・ジャズオーケストラ
27 ジプシー・ブラッド
28 南阿佐ヶ谷ブルースバンド・オフ ザ・ウォールブルースバンド
29 裸のラリーズ
30 頭脳警察

1973年

6月
02 だて・てんりゅうFrom京都
03 ジャム・セッション
05 安全バンド
09 ジプシーブラッド
10 久保田麻琴
12 南正人
13 ロック
16 中央線・詩とジャズの会(諏訪/白石かずこ/他)
17 裸のラリーズ
19 タジマハル
22 四人ばやし
23 カルメンマキ&OZ
24 南正人
26 布谷文男
27 春夏秋冬
29 液体真珠/サユリ・ホモホモ楽団
30 ブルースプレゼント・アゴラ

7月
01 ネィズィー・キム・ブルース・バンド
02 カルメン・マキ&OZ
06 やまたのおろち
07 南正人グループ
08 ジャム・セッション
10 クリエーション
11 スーパー・ヒューマン・クルー
13 三ツ目の夜
14 久保田誠
21 ジプシー・ブラッド
22 瀬川洋グループ
24 安全バンド
27 タジ・マハール旅行団
28 はだかのラリーズ
31 ネィズィー・キム・ブルース・バンド

「OZラストデイズ」出演バンド

8/29 四人囃子/安全バンド/頭脳警察
8/30 クリエイション/カルメン・マキ&OZ/タジ・マ・ハール旅行団
8/31 レイジー・キム・ブルース・バンド/ウェストロード・ブルース・バンド/アゴラ
9/01 ジプシー・ブラッド/アシッドセブン/久保田麻琴
9/02 裸のラリーズ/南正人/OZゴールデン・ボーイズ

裸のラリーズ:雑誌記事 ニューミュージックマガジン 73年10月号



裸のラリーズ:雑誌記事 「OZ DAYS LIVE」レコード評 新譜ジャーナル 73年11月号

2011-05-30

裸のラリーズ:雑誌記事「Rock Magazine」1977年3月号より

裸のラリーズ:雑誌記事「ローリングストーン・ジャパン」197?年12月号より

日本最後のサイケデリック・トリップ・バンド、裸のラリーズは年末から来年の始めにかけて、 オランダを皮切りに、フランス、ドイツを中心にヨーロッパ・ツアーを行う予定。詳しくはまだ未定だが、場合によってはTV出演、レコーディングの機会があ るかもしれないという。裸のラリーズはなぜか在日外国人に人気があり、ヨーロッパ・ツアーが実現すればその成果が期待される。

裸のラリーズ:雑誌記事「新譜ジャーナル」1974年9月号 「ロック最前線」より

裸のラリーズ:雑誌記事「新譜ジャーナル」1974年7月号 イベント・OZ YAA HOUSE

(1974年 04月14日 東京・福生市民会館)「OZ YAA HOUSE」



裸のラリーズ:雑誌記事「新譜ジャーナル」1974年5月号 イベント・OZ YAA HOUSE

(1974年 04月14日 東京・福生市民会館)「OZ YAA HOUSE」

 

裸のラリーズ:雑誌記事「新譜ジャーナル」1974年4月号 イベント・Electric Pure Land

裸のラリーズ:雑誌記事「新譜ジャーナル」1974年2月号


1973年11月3~4日 埼玉大学「エレクトリック・オールナイト・ショー」

裸のラリーズ:雑誌記事「ローリングストーン・ジャパン」1974年2月号より抜粋

「OZバンドと裸のラリーズに注目!~キャンパス・コンサートから~」

・・・トリを務めた裸のラリーズは、バンドを結成してからもう 5年以上経つという。前に演奏したロスト・アラーフの熱演(??)によって、マイク、アンプなどの調整に手間取り、なかなか始まらない。やっと始まった演 奏は、一言で彼らを言い表すなら、「蒼白い妖艶さ」である。デビッド・ボウイなどのそれとは異なり、場末のストリップ劇場の妖艶さである。さて肝心の音の 方であるが、時折り起こるハウリングによって音のバランスがとても悪く、その上にボーカルの弱さも手伝ってもうひと押し。聴衆を魅了するところまでにはい かなかったようだ。ただ気になるのは、黒メガネに黒っぽいいでたちで単純なコードを繰り返し、ファズをかけ鼓膜をつんざくような音の凄まじさと、シン
プルで思いタイコ、それに聞き取りにくい歌の言葉のそれらは、そのままベルベット・アンダーグラウンドに通じるところがあり、この辺が司会者(?)にサイ ケデリック・バンドと言わしめた所以でもある。好意的に解釈してくると、裸のラリーズも何かしら倦怠感に満ちた雰囲気を醸し出しているように見受けられる から不思議だ。しかし、今の裸のラリーズに不足しているのは、ベルベット・アンダーグラウンドがかつて我々にひしひしと感じさせた、けだるさの中に秘めた 力強さではないだろうか?・・・
(1973年12月15日に千葉大学で行われた「不知火」コンサートに対する評)

裸のラリーズ:雑誌記事「ヤング・ギター」1973年 11月号

(1973年 8月25~26日 石川県山中町で行われた「第一回夕焼けまつり」についての記事)

今月号でも取り上げた噂の「夕焼けフェスティヴァル」のライブカセットが発売されることになりました。内容はオズ・バンド、久保田麻琴と夕焼け楽団、レイ ジー・キム・ブルース・バンド、瀬川洋グループ、南正人、裸のラリーズ、めんたんぴん、さゆりグループなどの予定。定価800円で、日本のウッド・ストッ ク・フェスティヴァルの模様をぜひ聞きたいという人は石川県小松市・・・Make Love Co.へ申し込んで下さい。

裸のラリーズ:雑誌記事「ヤング・ギター」1973年 11月号

グループ紹介 “空を駈ける”裸のラリーズ
「時代は変わってしまった」

「裸のラリーズ」。レコードはまだ出ていない。彼らの活動の場はこの間閉店したOZなどのロック喫茶や野音など。だから彼らの生演奏を聴いた人の数は、さほど多くはない。それでも彼らの噂はどこからともなく聞こえてくる。
結成は68年、京都。「裸のラリーズという名に特別な意味は持たさなかったし、解釈のしようもなかった。でも、いつのまにか色んな意味を持ってしまった。」と、リーダーの水谷君は語る。
京都時代、彼らは「現代劇場」という劇団と一緒にやっていた。といっても、バック音楽を演奏していたというのではない。「僕たちの演奏って、1曲で1~2 時間かかるものばかりで、ラリーズ対現代劇場って感じだった。ドラムスがジャズをやってたんで、あらゆるリズムの曲をやった。客の反応? 受けたっていう よりたまげたって感じだった。」
その後、京都でリサイタルを開いたりするが70年に入って「京都版裸のラリーズ」は解散。水谷君は70年暮、東京に出てくる。
「京都にいる時点では、やりたい事はやったと思った。だけど今はそう思えない。あの時の事を今、考えても、あの時点とはもう違う。でもーーもう過ぎてし まったことだから。」彼は「今」だけしか考えない。過去は彼にとって「もう過ぎ去った事」であり、未来の事等は考えたってわからない事なのだ。
2・3か月前、彼は「時代が変わりつつある」と語った。
「でも今ではそうは思わない。時代は変わってしまった。身体の中で感じる事、それが身軽になったって事かな。重く感じてた事? 安保とかーーいっぱいある でしょ。」突如として「安保」なんて言葉が出てきてこちらがビックリしてしまう。「政治問題なんてあまり興味はないけど。」こちらを脅かしておいて、それ 以上は話してくれない。「ただ、僕が一番初めに音楽をやり始めた時、ギターでデカイ音出したら、日常的なアカみたいなものが落ちたような気がした。それ も、何年か続けてやってるうちに、けっこう重くなってきて、それでシンドクなってきたって事もある。又、その重さが無くなって、言葉で言うと同じなんだけ どーー色が違うっていうか、音の方がもっと暗かった。だから今は、音も軽くなったみたい。」

どこまでも、ぶっとんでいきたい

生活する手段としての音楽は?と尋ねると「きついですね。でも何とかやりたい。やりたくない仕事っていうのは今は別にない。成り行きですけどね。やらな きゃならない時はやるでしょう。今の時点じゃそういう事はない。歌い出せばどこでも同じ。雰囲気は関係ない。」
では、今まで語ってくれた事は、水谷君個人の考えなのか、それともラリーズとしての意見なのか。「多少のズレはあっても、僕らのバンドの望む所は1つだか らーー。」それは?と尋ねると「ただ、ぶっとんで行きたいだけーー」と言う。確かに「ぶっとぶ」のに、場所や客は関係ない。彼ら自身の問題だけだ。
この辺でインタビューを終えようと思ったところ、水谷君が言った。「インタビューって、好きなアーティストは?なんて聞かないんですか?」では、ご希望に 応えて、好きなアーティストは?「やっぱりボブ・ディラン。ビートルズは時には楽しいと思うし、ストーンズはカッコイイとは思うけど、それだけ。ソウルは ノルけど好きじゃない。」中村君もだいたい同じだという。よく聴くレコードは別になし。中村君はレコードがなくちゃわからないと言う。もしラリーズのレ コードが出たら?「その時は、そればっかり聴くでしょう。」
裸のラリーズ、彼らが本当に、どこまでもぶっとんでいけるかどうかは、わからない。しかし、空を駈けられるかもしれないグループ、とは言えるだろう。これからの活動が、それを明確にするとしか今は言うことが出来ないがーー。(A.I)

裸のラリーズ:雑誌記事「ヤング・ギター」1973年 9月号

「村八分」ものがたり(藤枝静樹)

1970年7月26日、富士急ハイランドで行われた<ロック・イン・ハイランド>のイベントにバーズ・パーティーとして参加した僕は、京都からやって来た「裸のラリーズ」と名のるとても不思議なバンドに出会った。
この年はウッドストックの映画が公開されたり、ストーンズが来ると言われた富士オデッセイが企画されたりして、ロック・フェスティバルは常にマスコミに 話題をまいていた。この <ロック・イン・ハイランド>もその当時の日本の代表バンドを全て網羅し、スタッフ、機材も最高の部類を集めてかなり前からマスコミの間で騒がれていたに もかかわらず、さて幕を開けてみると、バンド関係、報道関係をのぞくと真の観客は100人位しかおらず、関係者は唖然としていた。日本版ウッドストックと 前評判を聞いてドッと押し掛けた報道陣は、このイベントの不成功はともかくとして取材をしなければならないので、ちょっとした事が起こるといつもカメラマ ンの山ができて、アマチュア写真家の撮影会みたいな雰囲気になっていった。
ちょうど「裸のラリーズ」が出て来て「ギミー・シェルター」を演奏し始めた時、案の定この人だかりができてしまった。よせばいいのにその中の一人がカメ ラを持ってステージに上がっていき写真を撮り始めた。その時である、ステージの隅で踊りを踊っていた不思議な奴がそのカメラマンに向かって激しいケリを入 れた。それに合わすように曲はブレイクして、「ミッドナイト・ランブラー」のブレイクに代り、カメラマンは鼻血を出しながらステージの上から転げ落ちて いった。その事を遠巻きに見ていた僕はスゴイ奴が現れたと思い、走ってステージの真ん前まで行き、その男を見つめた。
近くに寄ってみると、濃いグレーのシャツに擦り切れたようなジーパンをはき、その上から夏だというのに穴の開いたロング・ブーツを履き、八百屋の前掛け をつけて胸まで伸ばした長髪を揺らしながら踊っており、かなり異様に見えた。僕はその男に釘付けにされたように見つめた。そいつはボーカル担当らしいのに 時たまワンフレーズを歌うだけで、後はずっとミック・ジャガーばりの踊りを1時間のステージ中踊り続けていた。これは本格的なロック・バンドになるなと思 い、ステージが終わってから訪ねると「裸のラリーズ」の水谷孝がセッション・メンバーとしてバックに山口冨士夫グループをたのんだという事である。あの 踊っていた奴はと聞くと、チャー坊というサンフランシスコから帰ってきた奴だという。その3ヶ月位前、日比谷の野音で成毛滋のオルガン、つのだひろのドラ ム、石川恵(現、ファー・ラウト)のベース、それに山口冨士夫のギターをバックにデビューして、その
時も歌わないでずっと踊り続けていたという。そしてその踊りの途中で成毛の処へいって、「あんた、いえてへんわ。」と言った話を聞き真にロックの判る奴が現れたなと思った。
その後9月に日比谷の野音に 山口冨士夫グループが出るというので観に行ったが、何かの理由で出なかったので、ガックリして帰ってきたのも覚えている。それから2,3週間たってチャー 坊が鹿沼で大麻不法所持現行犯で捕まったのを週刊誌で読み、僕の予想を越えるミュージシャンが現れたのだと改めて思った。そしてその保釈後、「シャバはえ えで。」と帰ってきたチャー坊は、冨士夫と一緒に「村八分」というツイン・リードギターのバンドを結成した。
それから3年たとうとする今、やっと待望の「村八分」のLPが2枚組ライブで発売された。やっとの事でレコードを買って針を下ろしてみる。あの「村八分」 が出てくる時の外国グループ以上にワクワクくるあの感じを思い出しながら目をつぶって待っていると、何と聞こえてくる拍手の音はパタパタと迫力のない音。 これはやばいなと思い目をひらいて聞いてみる。冨士夫のチューニングの音が聞こえてくる、いつもと違う、こんな音じゃない。ロックを判っていたらこんなレ ベルで録音しないはずなのにと思う。そんな事を考えているうちに1曲目が終わってしまい、音に疑問をいだきながら「村八分」の演奏に聞き入ってしまった。 やはり演奏は裏切らないで迫ってくる。これだけの事を彼らはやっているのだから、もっとましな録音の仕方もあるだろうと悔やまれてならない。今度の2枚組 は、ブートレッグ・レコードと思って「村八分」の男グルーピーは次のLPの発売を待っている。


1970年7月26日 山梨県・富士急ハイランド「ロック・イン・ハイランド」
写真右より、水谷、チャーボー、ツネダ、
冨士夫。青木はアンプの裏
(山口
冨士夫著「So What」JICC出版より 写真:望月彰)

裸のラリーズ:雑誌記事「NEW MUSIC MAGAZINE」1973年7月号

 バンド結成は67年の11月だから、もう5年のキャリアになる。その5年の間にサウンドも 様々に変わった。水谷君によると3か月ごとに変化しているそうだ。といっても、バンドの姿勢は一貫していて、全てを破壊していく毒を内包している。向こう のグループで気になるグループは?と聞くと、”ヴェルヴェット・アンダーグラウンド”。
現在、ベースの長田君が休んでいて、京都時代からの準メンバーともいうべき久保田麻琴君が参加している。水谷君は「今、すごくやる気になっている。今年に 入ってからのロック・ブーム」は確実にダメになる。なぜなら、見当違いのまじめさによるものだから」という。いささか観念的なところがあるが、ユニークな バンドと言える。

水谷孝  :ボーカル、ギター(エビフォン、フェンダー・テレキャスター)
中村武  :ギター(エビフォン、ギブソンSG)、ヴァイオリン
長田幹夫 :ベース(エビフォン)
正田俊一郎:ドラム

連絡先=0422-○○ー ○○○○(OZ)

裸のラリーズ:雑誌記事「Music Life」1973年11月号