2011-06-02

裸のラリーズ:Disaster Sources "STUDIO & SOUNDBOARD"

■ STUDIO & SOUNDBOARD 1969-1975(38:34)
D1-1-01
1.夜より深く 黒い悲しみのロマンセ 197510 : SB 1973 明治学院大学("Mizutani"に収録)
2.夜、暗殺者の夜 197305 : ST
3.お前を知った(THE LAST ONE) 197508 : SB 1975/08/24 獅子吼高原・夕焼2
4.造花の原野 197407 : ST 1973 明治学院大学
5.IMPROVISATION 196912 : ST
6.断章 1970 win : ST 67~70 LIVE
7.黒い悲しみのロマンセ 197509 : ST 1980/09 国立 Mars Studio




■ STUDIO & SOUNDBOARD 1973-1977(36:39)
D1-1-02
1.THE LAST ONE 197307 : ST 1973 明治学院大学
2.鳥の声 197406 : SB 1974 静岡・仏捨利島
3.白い目覚め 197610 : ST 1979/06/13 屋根裏
4.黒い花びら 197709 : ST 1979/06/13 屋根裏
5.夜より深く 197602 : SB 1977/03/12 立川 "77 Live"





■ STUDIO RECORDING 1977-1978(40:27)
D1-1-03
1.夜より深く 造花の原野      1977-78 : ST 1979/06/13 渋谷 屋根裏
2.夜、暗殺者の夜 1977-78 : ST 1979/06/13 渋谷 屋根裏
3.黒い花びら 1977-78 : ST 1979/06/13 渋谷 屋根裏
4.THE LAST ONE 1977-78 : ST 1979/06/13 渋谷 屋根裏





■ STUDIO RECORDING 1978(34:32)
D1-1-04
1.INTRODUCTION 197810-11 : ST 1979/06/13 渋谷 屋根裏
2.氷の炎 197810-11 : ST 1979/06/13 渋谷 屋根裏
3.ENTER THE MIRROR 197810-11 : ST 1979/06/13 渋谷 屋根裏





■ STUDIO & SOUNDBOARD 1973-1979(38:19)
D1-1-05
1.氷の炎 197601 : SB 1976/01/17 法政大
2.白い花びら 197910 : SB 1979/10/27 法政大
3.夜より深く 197910 : SB 1979/10/27 法政大 後半
4.造花の原野 197303 : ST 1979/10/27 法政大





■ SOUNDBOARD 1979 &1981(38:07)
D1-1-06
1.氷の炎 197910 : SB 1979/10/27 法政大
2.夜より深く PART2 198103 : SB 1981/03/23 屋根裏





■ SOUNDBOARD 1979 &1981(35:09)
D1-1-07
1.鳥の声 197910 : SB 1979/10/27 法政大
2.THE LAST ONE 197910 : SB 1979/02/18 屋根裏
3.氷の炎 198103 : SB 1981/03/23 屋根裏





■ STUDIO & SOUNDBOARD 1979-1986(46:29)
D1-1-08
1.夜より深く 197910 : SB 1979/10/27 法政大 前半
2.残酷な愛 198604 : ST 1983/10/10 鹿鳴館
3.THE LAST ONE 198103 : SB 1981/03/23 屋根裏





■ STUDIO RECORDING 1986-1987(36:42)
D1-1-09
1.GUITAR SOLO 8612-8701 : ST
2.鳥の声 8612-8701 : ST
3.夜より深く 8612-8701 : ST
4.THE LAST ONE 8612-8701 : ST




■ FRANCE DEMO TAPE(36:50)
D1-1-10
1.氷の炎 88 win-89 spr : ST
2.記憶は遠い 88 win-89 spr : ST
3.恋の物語 88 win-89 spr : ST

裸のラリーズ:雑誌記事「ヤング・ギター」1973年12月号 Oz Last Days


裸のラリーズ:その他 OZ LAST DAYS 1973年8月30日のチケット

(この日の実際の出演者:瀬川洋とニューダイナマイツ、カルメンマキ&オズ、タジマハール旅行団)

裸のラリーズ:その他 1972~73年の「OZ」出演バンド

あくまで出演表によるものなので、実際の出演者とは違う場合があります。
バンド名等は当時の「ぴあ」の表記によります。
このため、同じバンドと思われるものでも表記が違うものがあります。

1972年

10月
10 ビーインムサシノ/南正人
11 スーパーヒューマンクルー
13 マーザー(レコードコンサート)
14 裸のラリーズ
15 クリエーション
17 こうもり飛行機
18 安全バンド
20 ベルベット・アンダーグランド・レコードコンサート
21 南阿佐谷ブルースバンド
22 四人ばやし
24 タージ・マハル・トラベラーズバンド
25 ミスタッチ
27 現代音楽レコードコンサート
28 バナナフィッシュ
29 幻ズ
31 エンドレスライフ

12月
12 シバと品川寿男
13 ライトメッセージ
15 プライベートフィルム上映会
16 李世福グループ
19 タージ・マハル旅行団
20 イエロー
22 パレスチナ連帯上映会(カンパ+ドリンク)
24 OZオリジナルメンバークリスマスパーティ ゲスト:南正人他
26 グルービーサウンド・ジャズオーケストラ
27 ジプシー・ブラッド
28 南阿佐ヶ谷ブルースバンド・オフ ザ・ウォールブルースバンド
29 裸のラリーズ
30 頭脳警察

1973年

6月
02 だて・てんりゅうFrom京都
03 ジャム・セッション
05 安全バンド
09 ジプシーブラッド
10 久保田麻琴
12 南正人
13 ロック
16 中央線・詩とジャズの会(諏訪/白石かずこ/他)
17 裸のラリーズ
19 タジマハル
22 四人ばやし
23 カルメンマキ&OZ
24 南正人
26 布谷文男
27 春夏秋冬
29 液体真珠/サユリ・ホモホモ楽団
30 ブルースプレゼント・アゴラ

7月
01 ネィズィー・キム・ブルース・バンド
02 カルメン・マキ&OZ
06 やまたのおろち
07 南正人グループ
08 ジャム・セッション
10 クリエーション
11 スーパー・ヒューマン・クルー
13 三ツ目の夜
14 久保田誠
21 ジプシー・ブラッド
22 瀬川洋グループ
24 安全バンド
27 タジ・マハール旅行団
28 はだかのラリーズ
31 ネィズィー・キム・ブルース・バンド

「OZラストデイズ」出演バンド

8/29 四人囃子/安全バンド/頭脳警察
8/30 クリエイション/カルメン・マキ&OZ/タジ・マ・ハール旅行団
8/31 レイジー・キム・ブルース・バンド/ウェストロード・ブルース・バンド/アゴラ
9/01 ジプシー・ブラッド/アシッドセブン/久保田麻琴
9/02 裸のラリーズ/南正人/OZゴールデン・ボーイズ

裸のラリーズ:雑誌記事 ニューミュージックマガジン 73年10月号



裸のラリーズ:雑誌記事 「OZ DAYS LIVE」レコード評 新譜ジャーナル 73年11月号

裸のラリーズ:Les Rallizes Denudes : Heavier Than A Death In The Family (Bootleg)

私が2001年の春の L.A.M.E. という小雑誌の推薦リストで裸のラリーズのことを書いて以来、よくこの知られざる日本のバンドの入門にはナニが最適か、という質問を受けるようになった。 それでいつもわたしは、彼らのレコードは殆どが海賊版で容易に入手する手段はないから、入手可能な時はそれが何時、何処であろうとも手に入れるべきだと答 えることにしていた。 しかしこのアルバムが再登場した今、その悲惨な状況は少し改善されつつある。 実際に HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY は主に、今年の始めに出回った LIVE '77 の2枚組ビニール盤の音質を加工し改善したものだが、しかしこのカットは全体にもっとラウドだし、ジャケットはもっと良く、そしてこれにはトビッキリの 1973年の "People Can Choose"が含まれているのだが、これはメチャメチャにキャッチーで、そして他じゃ見つけるのが難しい曲だ。

Know Fun

もし君が伝説的な Electric Eels(*) や70年代中期のクリーブランドのバンド、または初期の Jesus & Mery Chain や Velvets の WHITE LIGHT/WHITE HEAT などにおける反復するコードに潜むロックンロールの破壊性を好きなら、このアルバムはたまげた夢が現実になっちまったって事になるだろう。  HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY は 君のおばあちゃんの時代のしわ伸ばし機械や、建築現場のコンクリート・ミキサー越しだろうと、そして、通常10時のニュースまでは止まない Barrow-in-Furness 製のエアコンの中でさえ、ソリッドでキャッチーなレコードだ。 時には、ニール・ヤングが ZUMA でやった WELD スタイルの高音バージョンのように明白で重々しく、また時には、水谷はリード・ギターを通してルーリードやジョンケールとのチャネリングをしているみたい ですらある。 そして常にそのカオスは、“Sally Go Round the Roses”や “Stand By Me”または君が「そんなスタンダードをやっていいの?」と聞きたくなるようなスタイルの、とびきり上等なリフの上に繰り広げられるのだ。

皮肉屋に言わせれば、裸のラリーズの偉大なところは、単にレコードの音質が歪んでいてどうしようもないところだとなるかもしれな い。 しかしラリーズのリーダー水谷は彼の音楽の女神との交信の高度に限定された方法を選択したのであり、私は彼のメタファをよろこんで受け入れるし、ま た君らもそうすべきである。 もし彼がその全てを否定し、そして「でも君たちはスタジオ・バージョンを聞くべきだよ」と主張するなら、わたしも困ってしま う。 しかし幸い水谷はライブ・ショーの貧弱な録音メディアについて異議を唱えてはいない。 証拠にラリーズのもっとも有名で完全なオフィシャル・アルバ ムである LIVE '77 の音質でさえ明白に Little Johnny Jewel 以下である。 そう、彼らの音質のすごいことには、 わたしが去年の AUDIENCE WITHE THE COPE 2001 ツアーで Sheffield Memorial Hall でこのアルバムをかけた時のことだが、PA屋のボスは、わたしが彼がナニをしているか気づいてそれがこのレコードからの筋違いのノイズだと指摘してやるま で、半時間をかけて電気回路の故障部分を探しつづけていた。 もし君たちが Pere Ubu の Street waves" の聞いた事がありそうで、他に聞いたこともないリフや、 Chrome の HALF MACHINE LIP MOVES の最初の10分間の、昨夜キミの妹がドライヤで髪を乾かしてる間にラジオでなってたStooges みたいな効果が大好きなら、野朗ども、君の真に新しい好みのバンドにようこそ。 裸のラリーズは魔力の再臨によりリマスターされた特別の曲とともに、わた し達が住んでいる複製された細密な全ての世界の明白な証拠であり、今日においてもなお意固地に無名の中に潜んでいる最も偉大なロックンロール・アーティス トのひとつだぜ。

今月のアルバムにふさわしい裸のラリーズは間違いなく素晴らしい興奮であり、彼らのリーダーである、黒い服を着て口紅をつけた水谷孝そのものに違いない。  水谷は彼自身を撃ったり、またはバンドの全てのテープを燃やしたりまではしないまでも、彼自身と彼の仲間たちを全てのロックンロールの忘れ去られた場所 へと導くために、考えられる限り全てのことを行った。 しかしロックンロールの情報網は常に超現代的な洞窟居住者達のもっとも異質な群れにより殖民が続け られており、髭ズラの古代発掘者や、偏執狂的な神話収集家達、そして結局は我々が彼の音楽の女神を発見することを水谷は理解すべきであり、 たとえわたし や Seth Man(*)のコミュニケーションが衰えたとしても、次の世代がヨーグルトの容器の糸電話と、教えられた長い糸を手にするだろう。

(*) Electric Eels は'70年代のクリーブランドのバンド。
(*) Seth Man はコープ氏のBBSによく出頭している知られざるロック・オタクの名前。

Know Fear

しかし、わたしはみんなに、そのような直観的な経歴のない首謀者達の群れを創出した歴史について少し語るべきだろう。裸のラリーズは「リリースしない、イ ンタビューしない、ツアーもしない」というポリシーをたまたま誤って選択したのではなくそれはとんでもないことだったのだ。 いいや、裸のラリーズは京都 で結成され1967年、当時の日本の政治及びポップミュージックの両方に対する精神的反発からの深い目的があった。 初期において彼らはグループサウン ズ・シーンの全てのバンドを嫌った。 グループサウンズは日本のバンド、例えばモップス、ジャックス、ゴールデンカップスなどにつけられた呼称だが、ブリ ティッシュやアメリカン・ビート・グループに深く触発され、それに彼ら自身の日本的な部分を加えたバンド達である。 本当のところそれらの多くのバンドは とても素晴らしいし(今再度検証すれば)彼らが西洋から吸収した部分に独自の多くの感性を追加しているのがわかる。 実際ジャックスをもっともらしくラ リーズのサウンドの源泉であるとか、スタジオで録音されているとか議論したりするかもしれない。しかし好都合なことに、水谷や彼のギャング達は否定者の群 れであり、グループサウンズ・シーンとはフランク・ザッパを聴いているルーリードより緊張した関係にあった。 そして反響の無い中で彼らが創りだしたもの はまぎれもない創造性のナイルの氾濫であった。

政治的にもまた、水谷と彼の最初の共謀者達、加藤と Tada Takashi(?)、はグループサウンズのバンドの厄介な文化的叩頭(cow-towing)を発見している。そしてもっとコマーシャルな東京のポッ プ・シーンに乗り出すのに対して、ラリーズは古風なそしてもっと小さい都市京都に留まることを好んだが、そこは日本の前の戦争でマッカーサーとの間で交わ された米国との軍事同盟である安保条約の改定に対して過激な学生たちが反対しているところでもあった。アメリカのベトナムにおける軍事行動がすでに日本に も影響を与えていた時期である事は思い出すべきで、それはベトナムからのつかの間の休憩に訪れるG.I.達 にとって、簡単に気を休めるわけにはいかない場所であった。実際に、日本列島の最南端にある沖縄の最大の米軍需基地は日本人の対決と不安の無法の種と化し ていた。

Barricades-a-Go-Go

東京キッドブラザース舞踏団についてわたしのエッセイで明かしたように(前回の今月のアルバムを参照)日本の最も成功した異議申立ての表現は伝統的に舞 踏、そして劇場からから生まれ、そこに音楽が含まれるというものだった。 経済的変化が日本の産業化した南方の島々や北方の劇作家、俳優、そしてフォー ク・ミュージシャン、例えば J.A. Seazer 三上寛、 そして必要の無い日本の西欧化への反論を述べ強力な存在となった寺山修司などの人々に影響を与え始めていた。 それは裸のラリーズが京都をベースとする比 類無き過激なアバンギャルド劇場、つまり現代劇場に関与する時点でもあった。 しかし J.A.Seazer とは異なり、言葉と舞踏が慎重に統合され叫びや嘆きの周期になじみやすいとしても、水谷の音楽は唯我独尊的な点において譲歩なき強烈な闇であった。

現今初期のラリーズの音楽を聞きながら、そららの上にギャーギャー押し付けられる現代劇場の可哀想な踊り子たちについて考えるのは、とてつもなくヒステリ アスなことだ。 現在入手可能な19分のフリーロック CD-single"Smokin' Cigarette Blues" は現代劇場の舞踏を論じる上での完璧な例である。"Smokin' Cigarete Blues" は、あなたが想像するように Velvets 影響下のPost-Frat(*) ロックであるにもかかわらず、まったくブルージーではない。不整脈に近い、洗濯機の中のBuddy Hollyのようなフリークアウトがかもし出すうつろで普遍なタムタム・ビート、水谷とその時期のベースプレーヤー Nakamura Takashi のひっくり返したような再現不可能なロックのリフは口やかましい、そしてオーデンとロキ(*)の様にお互いに非協力的だ。 そして全ての不協和音が恐るべ きそしてユニークなグルーブを創造しているにもかかわらず怒り狂ったハーモニカとタムタムの上に落ちていく時点において、ストレイトと呼ばれるラリーズの マテリアルの音楽的断片がこころをとらえて離さない。

この拒否と反戦の時代は、厳正な非商業的立場をとるラリーズ、そして水谷にとっての形成段階であり、これが(from here-on-in?)、実質的に彼らを宿命づけた。 1969年、Barricades-a-Go-Go として知られる京都大学での反戦コンサートに出演し、そしてこれ以降 Arther Lee の Love の取り巻きのような田舎じみた態度を取るようになった。 商業主義的な目で見るものはたとえ誰でもが、すぐにラリーズから追い出され、メンバーの一人が 1970年の悪名高いよど号ハイジャック事件に関わることにより水谷自身をも凌駕した時もであった

今では水谷は、現在全て黒のレコードジャケット、Katie Puckrick(*) 的髪型、そして彼の強力なトリオ不失者の華麗な獣性で有名な、同様に黒装束の灰野敬二と仲が良い。 1971年灰野はロストアラーフとして知られるフリー ロックアンサンブルを構成していた時期にラリーズと Trip Festival で演奏した。 不運なことに水谷が灰野の女友達をとったために二人はケンカし友情は終わった。 そして灰野敬二がコマーシャル路線から強烈な非難を受けて いる間、水谷はラリーズを日本のアンダーグランド文化へ、そしてかつて存在しない故意に無名の地帯へと導き出していた。 バンドメンバーはラリーズとして 記述するには余りにも度々入れ替わり、時には三人、四人、そして1980年代初期にはラリーズのリズムには多分 'skank'(*) の影響が現れる。 しかしその他、裸のラリーズのファッション、彼らの限られたライブの曲構成、そしてその配布のマナーは決して変わることがなかった。

数年前、ラリーズについてのもっともアンダーグランドなフィルムが流出し、そしてかろうじて見るに耐える驚くべき正確さで、彼らの全てに対してアンチであ る姿勢をとらえることができるようになった。 第三世代の DA Pennebaker の Don't Look Back のランダムなカットのビデオ・コピーを、1997年に National Film Theatre で見た Amon Duul 2 の Phallus Dei のフイルムと同時に見ることを想像してみてくれ。 それでもまだその半分くらいだ。 わたしが話しているのは、口の動きが同期していないとか、対話がない とか、サウンドトラックをいつでも黙られるクレジットについてだ。 もし君がアンダーグランド映画館の新しい最低を求めるなら、ラリーズのフィルムは全て の賞を得るだろう。

(*) fratはアメリカの大学生倶楽部のことなので、その学生達が聞くような音楽かな。僕のイメージとして(アメリカ人ではないので)、ワイワイとビールを飲 みながら楽しんでいるスポーツ派の奴らばっかり。そいつらの聞くロックは何でしょうかね。Ted Nugent? Kiss? Kansas? それのポストって感じでしょうね。
(*)オーデンとロキは共に北欧神話の神。
(*) Katie Puckrickはイギリスのテレビに出演しているカナダ人の女性キャスター。Pet Shop Boysのツアーによくダンサーとして登場するらしいです。
(*) 「skank」は普通に「レゲエ風のビート」という意味ですが、ここではどうでしょうか。「非ロック的なビート」かしら。ちなみに俗語ではブスの意味もあります。


Strong Out

これらのラリーズのレコードは故意にプロモートもされず、そして長い年月の間放っておかれたので、水谷の成果に対する正式な年代順の批評を試みるのは、古 代アイルランド人をローマ・カトリックに改宗させるよりも難しい。 そしてたとえそうであろうとも、 HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY はイベントから長い期間を経て、こっそりと出された多くのラリーズのライブアルバムのひとつである(たとえ、バンドのいくつかの超不明瞭なバージョンが幾 人かの日本人信者の聖地の山々の中においてアコースティックで演奏されているのが正しい可能性があるとしても)

率直にいって、わたしが聞いたスタジオ録音はまったくこころを惹かれなかったが、Nico の 45回転シングル "The Last Mile"(*) や初期の Felt そして Velvets の三枚目などの間のどこかにぶらさがっていた。 彼らの 67-69 STUDIO ET LIVE にはカズー(*)のソロのある曲が収録されてさえいる。 しかし信じてくれ、それはわたしがここで最高に支持する裸のラリーズの一面ではない。 いいや、 わたしを夢中にされているのは三枚のビニールLPと7枚のCDに含まれる本質的に異なったコレクションであり、 それにはかつて寝室で撒き散らした最高の psycho-chandy-assed なサイケデリアが含まれている。 さよう、わたしにはラリーズの完全なコレクションを得る手段がない。 しかし誰か可能だろう? このバンドのファンでい ることは、うろたえることとフラストレーションを学ぶことである。 しかし手引きにはすでに充分である。 HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY を手にとってみようじゃないか、彼らのリリースされた中では、もっとも密集したコンピレーションを・・・

(*) The Last Mile はニコのロンドン時代のデビュ・シングルで、当時スタジオ・ミュージシャンだったジミーページがプロデュースと12弦ギターを弾いている。 また Felt の 1'st はギター&Vo の後にドラムを録音したらしくて、リズムがズレズレ。 多分ここでコープ氏は自分の嫌いなタイプとして VU の 3rd と共にあげているようだが、どれも訳者本人としては好きなだけに・・・複雑・・・
(*) カズーが入ってる曲ってあったっけ?

Album of the Month

この音楽について記述するべき点は、印刷用紙(foolscap 道化の帽子の意味もある)半分ほども無い。 君は単純にこれを愛するか嫌うかのどちらかだ。 明白なことだ。 なおまた、わたしの親愛なる翻訳者 Annexus Quam 夫人である Yuri AKA がわたしに教えてくれたことによると、水谷の言葉は、押し黙った(dumb-dumb)6月の月の下での(moon-in-June)キスをしているよう な(kissy-kissy)感じだが、それは外部のなお外部(out-and-out)の政治的で、文化的拒絶に由来する、故意によるものだという。

第一面はずっしりとしたカギ状(hooky?)で、Booker T の "Green Onions" から "Las Veags Basement" にかけての crawl(?)に見られる、重い15分間の足取り(plod-a-thon)の“Strong Out Deeper Than the Night”で始まるが、それは水谷の恋人にささやくように、そして弱々しく泣くような広くエコーのかかったボーカルで始まり、そしてその自身の答えとし てのナパーム・ファズ・ギターが炸裂する。 それは全ての16歳が演奏する即席のコード進行のたぐいの回りに、まるで終わりの無い重い足取りのようで、そ して彼が真実に向かって始めた瞬間を捨て去る。 勿論ここは水谷ランドの中、それが第一面の全てを占めている。

続く“The Night Collectors”、風ふくトンネルの中での La Dusseldorf の "Virginia Plain"ようなから、 第二面が始まる。 再度、ズッシリとしたキャッチーな、そして超単純で歪みきった(distort-o-fest)、ここでは8分のオートバンでの無謀な ドライブ、水谷のリード・ギターはナイアガラの滝の中に聴く者を包み込む。

そして? 確認するなら、言葉を失ったわれわれは暗闇の隠喩を逃しはしない-それは "Night of the Assassins"、彼らの全てのアルバムで取り上げられているラリーズのスタンダード、そして基本的に地獄からの "Stand By Me" だ。 Ben E.King の1968年のバックバンドが巨大な花崗岩のくずれた斜面を波乗りしているのを想像してみてくれ、彼らのあわれな雇い主のことなど考えないで。 殆どの ミュージシャンを、まさに水谷博士が注文したズタ袋におしこんでしまう shucking や jiving (ジャイブ?)の12分間 が明確にここにある。 潮の満ち曳きのようなギターの炸裂は時間の栄光に照らされた妙に甘ったるいリフからかつて無い甘美さのしずくを撒き散らす。  Television の "Prove It" を最初に聞いた時、 君がそんな伝統的な部分をバーラインからどんなふうに受け入れたかを思い出してくれ。 それだけのために、極端に型にはまらずに、すっかり失望しただろう か? そう、君はここでは、まさにそれと同じだ。 水谷は最初に Ted Nugent の驚くべき the Amboy Dukes の入り口 "Journey to the Centre of the Mind" のようなギターソロから入る。 でも Nuge(Ted Nugent)のようではなく、水谷は完璧にグループの目的地への制御の中にいる。 そして暗闇のこころへのこの片道切符はハンサムな旧式自動(*)から は決して作られたことがない。

第三面はもうひとつのラリーズのスタンダード、"Enter the Mirror" として知られるスローな Velvets 的ドローンな曲から開始する。 さてわれわれはここでせいぜい2つのコードのことについて話しているが、ベース・プレーヤーはそれでもそれを間違えてい る。 彼はその方法を上品に感じながら、11分後でもまだ暗中模索している。 そこにはコーラスの為の第三のコードがあるのだが、しかしバンドは明白に ベースマンを信頼していなくて、それで彼らは、彼がやり過ごせないように三度の無骨な糸口をかれに与えている。 これはわたしが曲を掘り下げていないみた いだろうか? そうわたしは自分のケースを大げさに言っているだけで、なぜならわたしはこれが好きだ。 "Enter the Mirror" は「荒々しい石の遺跡」と表現されてきたような古代の遺跡の粗暴な方法であり、これは根源的、そしてあからさまな荒削りである。 このラリーズの男は モー・タッカーがドラムを演奏するようにベースを演奏し、完全な無知を通して曲をひっくり返し、しかしともかく結局は音楽的裏道と裏庭の第二の等価なメロ ディを通して、とても良い遠回りによりルート音へと回帰する

第三面は “People Can Choose” の呼吸の美しさにより閉じられ、メジャーリーグ級のヒズミの10分間、はねあげるシンバル、壁を登るベース・ライン、そして再度オン再度 オフのギターの激痛、明らかにかつて聞いたに違いないリフという思いを序々に衰弱させ、ついにはその立体的な靴ヒモが叙事的な Pretty Things の "On The Road South" からの盗用を勝ち取る単音のマントラと同様な中へと発射される。 そしてこのトラックの(チクショウ!)音質にもかかわらず、これはアルバムでのわたしの 一番好きな曲に違いない。 不運にも "People Cna Choose" の唯一もうひとつのバージョン、それはなんとか見つけたが、致命的なラリーズの映画においてで、わたしはそれについて語ったっけ? そして(控えめにも) このバージョンは200倍はいい!

アルバムの最後の面は曲がまだ完成には近くないキミの全ての人生のように砕け散る。 "Ice Fire" の16分間はフリッパーの叙事詩に割り込む、いつもの瞬間のように響く。 "Sex Bomb(MyBaby Yeah)" でもそうはならない。 これはリフの地獄、Stooges の "Funhouse" や Joy Division の "Wilderness" のような力強さ、しかし水谷のヒズミのフェスティバルにより記された図太い永遠の中に走り書きされている。 瞑想的であることに容赦無く、有用であること に円筒的。 わたしはその風のトンネルの中に立つベースプレーヤーになりたい、あのレベルの激しい怒りの中に固定されたまま。

(*) ハンサムな旧式自動 とは勿論 Ted Nugent のこと?

In Conclusion

この「今月のアルバム」はまさに、キミやその仲間達の人生や時代の最初の経験である。 多分この幾分かはレコードジャケットをめくり、そして少しは深みを 知っているようなロックの考古学者たちを刺激するだろう。 もしキミが HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY が手に入らないなら、わたしはあなたに LIVE '77 を探し出すようにというだろう(最近はダブルCDとダブル・ビニール盤のどちらも再度入手可能だ)、または LIVE 1973、これはごくタマに FIELD OF ARTIFICIAL FLOWERS 名で出ている。 ジャケットは本当に上等の得たいの知れないやつで、多分キミはどちらにしろそれが欲しくなるだろう。 さらも水谷はそんな許容しえるロッ クンロールのコードを使いながら、決してキミがノイズの中に溺れないような彼のフリークアウトを塗りつぶすように構成し、この灰野敬二のような方法は彼の 聴衆に常習者のように受け入れられている。

しかしわれわれは水谷をどのようにロックンロールのリクタースケール(地震の規模を表示する10段階)に登録すべきだろう? わたしは誰かが電気を使っ て、ロックンロールの神殿に正しく彼の場所を与えるに足りるように、そしてわれわれ先進的野郎どもがしっかりと彼の作品を買うことが可能になるに値するよ うにすべきだと結論づける。 さて、水谷のラリーズにおける作品は、決して同時代の彼の演奏を体験した日本の聴衆に火をつけなかったし、そして未来のいつ かにおいてもそうはならないだろう。 疑いなくそれはわたしにとって70年代初期の日本において紅い口紅をつけた誰もが、そしてグループの中の飛行機のハ イジャッカーを数えても、Bob Mould の畑を耕しはしないだろう。 そして今わたしは、この sucker が或る日わたしの道を必ず横切るのを確信しているし、そして読んだり聞いたりする時間がある全てのやつらの上に容赦なく押し付けられるだろう。 そして必 然的道理として、わたしはいつか、水谷が Klaus Dinger や Damo Suzuki や色々な“決してよりは後に良い(Better-late_than-never)”ロックンロールの聖者達の群れに連ねられるスタンダードな音楽家の名 前となることを結論する。 わたしは回収されたわたしの本から1999年の引用とともに終えようと思う。
“Through the filtered or domino effect of behaviour-rubbing-off-on-others, the one who dances at the world’s edge eventually infuses the spirit of even the most central figures of society.” ”フィルターを通した、または他の摩擦のオフ・オン効果のドミノ効果、結局はもっとも中心的な社会の姿を平均化させる精神を吹き込む世界の果てにおいて踊 る誰か” Right fucking on, or watt! さてやっちまおうぜ、それともナニ!

Footnotes:

1. わたしの友達のロック批評家が言うには、わたしの L.A.M.F. アルバムを聞いた時、 ラリーズの"The Last One" のサンプルを特集したとき、彼はやり遂げれなかったという。 勿論彼は "The Last One" に最低6つの異なるバージョンがあることを知らなかったが、そして数年後でも、どのように着手すべきかというところにまさに留まってはいなかった。

2.特に Annexus Quam の親愛なる奥さん Yuri に感謝、彼女はわたしの翻訳家として、そして全てにおいて著しく不明瞭な日本の概念の説明をしてくれた。 同様に Trevor Manwaring にも感謝、 彼の終わりのない会話が非常に寄与してくれた。 そして David Keenan 彼は真に先行思考な野郎だ。
Les Rallizes Denudes
Heavier Than A Death In The Family


Released 2002 on Ain't Group Sounds.
Reviewed by Julian Cope, 03/09/2002ce.
Recorded live in concert between 1973-77.

Side 1

Strong Out Deeper Than the Night (15.32)

Side 2

The Night Collectors (8.30)
Night of the Assassins (12.04)

Side 3

Enter the Mirror (11.30)
People Can Choose (10.32)

Side 4

Ice Fire (16.12)

[ 訳出:よしのさん、sevenさん ]

裸のラリーズ:雑誌記事 「Record Collector」No.250 : p109, 2000.

......they are indebted to the highly mysterious Les Rallizes Denudes. Formed around 1967,and spotted in action as recently as 1994,the rallizes specialise in this same basic principles ; relatively simple bass and drum patterns played at great length and volume, over-laid with searing guiter workouts and a voice which barely punctures the ether. Unusually for the Japanese Underground, the Rallizes have managed to release only three, very limited, albums in that time, all of which change hands for astronomical figures. The rare double live set メ77 - Liveモ is particularly worthy of mention, demonstrating the power and inventiveness of the Rallizes to perfection.

(Tokyo Terror - A brief introduction to the mysterious world of the Japanese Underground-. by Steve Robinson)

裸のラリーズ:雑誌記事 「リズム&ペンシル」1999年 No.1

[1997年9月のヒロシ氏への電話インタビューより]

・・・だててんりゅうの頃、僕はまだ18でした。頭脳警察の頃はねえ、よく野菜カレー作ってました。ラ リーズの頃は、水谷(孝)君ってのがやっぱり凄くて、どう凄いって言うのかなあ、・・・凄い人でしたよ(笑)でもねえ、村八分のチャー坊とも話してたけ ど、ロックをやる上において、水谷君くらいのこと、村八分とかジミヘンとかでも、あそこまでメチャメチャにやって、やっとフツーって言うか、そういうレベ ルまで達してないバンド多いよな、って生意気にも言ってて(笑)・・・(中略)・・・ニプリッツはギターのZINと始めたんですよ。水谷君も「ロックは長 いトリップだ」とか言ってたんだけど、そういう生きていてトリップしてる、何かわけの判らないものを言葉にしたみたいなのがあるような気がする。・・・ (中略)・・・水谷君も「かっこ良けりゃいいんだよ」とか言ってて、やっぱりそうなのかな、と思う部分もいっぱいあるし、だけど、僕もかっこよくなりたい な、と思いつつ、だんだん変になってきた(笑)・・・(以下略)・・・

裸のラリーズ:雑誌記事 「Quick Japan」1997年 vol.12

裸のラリーズ:雑誌記事 「スーパー写真塾」1993年5月号 P.120~121

裸のラリーズ:雑誌記事 「Studio Voice」1991年10月号(vol.190)p.78

      Cool is Sweet ー遂にCDを出した裸のラリーズー

裸のラリーズが結成されたのは1967年夏の終わり、京都。その後の詳細はここでは省く。
今回発売となったのは、オリジナル・メンバーによる演奏を含む67年から69年の現存する数少ないテイク集、70年京都での久保田麻琴参加の録音と73年 東京でのオリジナル・メンバーによるライヴ、そして77年立川でのライヴをなんと全て完全収録した2枚組、の3タイトルである。
それぞれの時期のフォトを使用したヴィジュアルを含め、この時点までのラリーズの一種のドキュメントともなっている。 とにかくカッコいい。ここに収めら れた音はめくるめくまでに多様で、同時にそのそれぞれが、まさしくラリーズ以外の何物でもないユニークなものだ。その上全体として、部分の和を遥かに超え るトータリティーを持ったアルバムに仕上がっている。
ラリーズの演奏はいつも、リアルタイムで一回限りの即興演奏だ。繊細で激しいヴォーカルを中心として、幾つかのシンプルでポップなコードと伸縮自在の ビートをベースに、歪みと響きそのものと化したギター・サウンド。ノイズとかノンコード・トーンとかいう、音のちっぽけな区別はここにはない。すべての音 は全体と響き合い、緻密に連関し、フィードバックしている。荒々しさと静けさ、優雅と無関心、死と狂熱、集中と爆発、暴力と愛撫、リラックスしたクールな 覚醒。聴く者を突き動かす極端さ。完成度や音楽性とは無縁の緊張のうちに溢れ出す奇想天外で美しい音の洪水は、どんなレッテルも拒否する。
裸のラリーズは、バンドと言うよりも、水谷という希有なパワーを核として、参加者達の、ひいては聴く者すべてのさまざまな幻想を打ち破って深いところか ら姿を現す何ものかがひとつになって、そこに唯一の「裸の」リアリティーを紡ぎ出してゆく、一個の生命体のような印象を与える。それはまさに、この世界に 口を開けた暗黒の裂け目だ。
我々は本当は何者であるのか、秘められた力を解き放ったとき、我々は何者であり得るのかを追求することを妨げるありとあらゆる禁止(タブー)を、ラリー ズは軽々と乗り超え、誘惑し、挑発する。常に脱皮し続け、とどまることを知らずに死の毒を撒き夜を歌い、隠されたものを暴き出してゆくその姿に我々が体験 するのは、自由?愛?あるいは犯罪の愉しみに限りなく近いものだ。
聞くところによると、ラリーズのドキュメント・フィルムが存在するらしい。また、水谷は現在、音と映像を録(撮)り続けており、既にかなりの量が完成していると言う。
この3タイトルのCDは、全身を傾けて聴こうとする努力を怠らない者には、黄金を約束する。聴きたまえ。何度でも、聴きたまえ。さあ、この無上に甘美 で、恐ろしくきびしい快楽に、共に耽ろうではないか。そして熱望しよう、再びラリーズの演奏が聴ける時を。水谷ある限り裸のラリーズは在り続ける。(文= 冴木 弦)

裸のラリーズ:雑誌記事 「Gold Wax」No.11 (1991)


裸のラリーズ:その他 「夢は荒野を 小松辰男追悼集」より(私家版 1987年刊)

<年譜より抜粋>

■1968年(昭和43年)28才

4月、「変革の美学ーまたは過渡期の青春」を 『同志社大学新聞』に執筆掲載。五月、宮井陸男、ヨシダミノル、金坂健二らとよくサイケデリック ショーやパーティを開催。

8月、小松辰男作・演出『世界はオシャカを待っているー三つのオブニバ ス よりなる劇精神の現象学』を祇園会館4階の「プレイスポットKYOTO」で劇団現代劇場公演。 「プレイスポットKYOTO」は、当時、「GOGO スナック」とも、またアングラ喫茶ともいわれて、 若者たちの熱い視線を浴び、この店のタイアップ 企画を次々と多彩に打ち出していく。

11月、 『ZONE ここにたっているーそして?』を毎日新聞京都支局三階ホールで公演。構成・演出を柳沢正史、水上旬らと担当。このシンポジウムには中原佑介、 山崎正和ら出席。映画は宮井陸郎、ガリバー、松本正司、今井祝夫、河口竜夫ら。ハプニングスには池永慶一、飢餓孤児、岡本ハジメ、中田和成、福永トヨ子、 三喜徹男、ヨシオカシゲオ、水上旬、ゼロ次元商会らが参加した。

11月、『フィルムアートフェスティバル1968』 京都会館第二ホールで上映、参加協力。

11月、柳沢正史作、演出『PARODY もしくは薔薇十字団の幻想』を”プレイスポット京都”で公演プロデュース。音楽=水谷孝と裸のラリーズ、出演、現代劇場。

12月、山元久子と結婚。それまで住んでいた京都市伏見区土橋342より、京都市左京区聖護院蓮華蔵町・二条ハウスに住む。

■1969年(昭和44年)29才

1月より京大、同志社、立命大に学園闘争はじまる。京大教養学部バリケード占拠の中で「バリ祭」誕生。

4月、京都三条通木屋町入ルの立体画廊”射手座”の企画・制作に参加。そのオープニングショー・プログラムに『ピーターズ・ダンス・カンパニー』公演(竹巴類構成・演出・振付)。村木良彦フィルム作品集。アメリカ・アングラ・フィルムフェスティバル。水谷孝と裸のラリーズ・リサイタル。水上旬+れまんだらん+ゼロ次元+etc。宮井史郎フィルム作品集。金井勝監督『無人列島』制作完成記念特別有料試写会。「反戦と革命のためのプロテスト69」京都展などを開催。

4月、小松辰男作・演出『サロメの羊水より蘇生したYOTSUYA-IEMONの呪術によるノゾキカラクリ劇(大人のための童話集69年版)』を射手座で劇団現代劇場公演。

9月、深尾道典作・小松辰男演出『蛇海』を射手座で劇団現代劇場公演。スタッフ=美術・古森久夫、衣装・皆川魔鬼子ら。キャスト=飛鳥二朗、稀音家小路敏麿、嵯峨之家乱山ら。この頃、京大西部講堂の企画イベントにも深くかかわる。

11月、水谷孝と裸のラリーズの公演プロデュースをする。そのリサイタルを京都教育文化センターなどで開催。水谷孝=ギター・ヴォ-カル、多田孝司=ベース、松本敬=ドラムの三人で、京大、同志社、京都芸大などの学生に絶大な人気を集める。ラディカル・ミュージシャンで、十一月東京デビュー。

11月、シネマ・ルネッサンス制作『ねじ式映画』(主演・吉田日出子、共演・佐藤信、瓜生良介、岡村春彦ら)をヤサカ会館で上映。主催。

裸のラリーズ:雑誌記事 「Rock File」1989年 vol.5<日本ロックバンド完全事典>

 裸のラリーズ。それは闇に封じ込められた、ひとつの廃虚である。この巨大な廃虚を前に言葉は無力だ。戸惑いと眩暈、忘我と回想、そして絶対的喪失感。
裸のラリーズは67年に水谷孝(Vo, G )を中心に京都で誕生した。既に20年以上にわたり活動を続けているが、その間、山口冨士夫(G)をはじめとしてメンバーは目まぐるしく変わっているが、ラリーズ=水谷と呼んでも差し支えないだろう。
70年代初頭から活動の場を東京に移し、政治の嵐の中で生まれた、当時のアンダーグラウンドのバンド、ロストアラーフ、頭脳警察、紅とかげ、ジャック ス、村八分などとともに日本のロック・シーンの一極を占めた。が、熱い季節の終焉とともに他のバンドは消え去り、ラリーズのみが生き続けた。それはある意 味では当然のことで、ラリーズつまり水谷のスタンスが他のバンドと完全に異なっていたからに他ならない。ラリーズは始めから既に完結した一個の「絶望」で あった。そこには進化も退化もなく、上昇も下降もない。あるのは隔絶した無言の闇のみ。時代の動きや音楽的流行などとは完全に無縁なのだ。だからラリーズ の音楽について、演奏がヘタだとかワン・パターンだとか言うのは見当外れもいいとこで、そういうむさくるしいものを超えたところにラリーズは最初から屹立 していた。全てを削ぎ落としたかのような痩身と彼方を見やる目、抑揚の少ない声は深いエコーに包まれ、ギターは脳神経の一本一本と共振するかのように歪み 捩れている。その音の寒さ青さはヴェルヴェット・アンダーグラウンドを確かに凌いでいる。
海賊テープは山ほど出回っているが公式の単独作品は全くない。故間章などの尽力で10年以上前に海外で発売されかけたりと、今までに何度も話は持ち上がってきたが未だ実現していない。こいうロックが今後再び出現するとは到底思えない。
数少ないライブには、どこからともなく夜の子供たちやって来て「時」を共有する。彼らが参加したオムニバスLP「OZDAYS」も今では入手不可となっている。

裸のラリーズ:雑誌記事 出典不明(1987)

「語られぬ闇の中から」(国枝孝弘)

裸のラリーズについて語ること、裸のラリーズの音について語ることーーーそれはそうしようと思えばいくらだって出来る。なぜならば、それはこちらに書き たいことがあるのではなく、ラリーズには語られない何かが尽きることなくあるからだ。その何かを語ろうとすれば、何十枚だって書けよう。
しかし同時にラリーズについて一枚だって書くことは途轍もなく困難だ。それは語ることによって明るみに出てくる部分に比べて、そうすることによって逆に暗 やみに葬り去られてしまう部分が余りにも大きいからだ。語れば語るほどラリーズは言葉の呪縛から逸脱していき、逆に言葉が呪縛されてしてしまい、沈黙せざ るをえなくなる。常にラリーズは闇の中へと溶け込んでいく。ステージで見られるOHPからの模様のように、ラリーズはほんのつかの間、私の目の前に滲み出 てきては、またすぐさま闇へと戻っていくのだ。そんなラリーズについて書くことは、不可能と言ってもいい。ただ、ラリーズのライブから受ける黙示的なもの に突き動かされて言葉を連ねる事しかできない。

私がラリーズを定期的に見に行くようになってから3年ほどになる。少なくともその間に限ってみてみても、ラリーズのライブは結構活発に行われている。場 所は、今はもう無くなってしまった渋谷の屋根裏、目黒の鹿鳴館、原宿のクロコダイルなどのライブハウスや、ここ数年、12月には法政学館ホールであった し、今年11月1日には、早稲田祭で私たちユーテラスの主催によって久しぶりに昼のライブをやった。また東京以外では83年5月に京大西部講堂で4時間に も及ぶライブがあった。
周りの連中がラリーズの現在の活動までをも伝説化し、やたら水谷をカリスマ化しようとしているが、実は裸のラリーズは非常に活発で、常に変化し、今も変 化し続けているバンドなのだ。11月1日の話をして恐縮だが、私たちのような企画サークルでもない単なる音楽好きの集まりが不十分な用意しかできない中、 普通の教室で、教壇のステージで、当日のために借りてきたPA、照明類で、演奏を繰り広げてくれたのも、彼らが実際に動いているバンドだからだ。
裸のラリーズが、その名のもと、日本のアンダーグラウンド・シーンに影響を与えたことは確かだし、それゆえに歴史として扱われてしまうこともわかる。しか しそれ以上に、あるいはそれとは関係なく、裸のラリーズは常に生成しているバンドだ。水谷も変化し、ラリーズ自体も音も変化している。ライブでもその都度 異なった断面を見せてくれる。そのために、余計ラリーズについて語ることは困難になってしまうのだ。

裸のラリーズのライブは会場の中へ入ったときから既に始まっている。場内は暗くされており、香が焚きしめられ、民族音楽などが流れており、ミラーボール がゆっくりと回って細く淡い光を乱反射している。そしてステージのバックにはギーガーやキリコなどのスライドが投影されている。私たちは既にラリーズの空 間に入っているのだ。その幻想的な空間は、私たちを現実から切り離す。幻想の中で時には2時間ほども、水谷の、ラリーズのやってくるのを待つ。彼らは現実 からでも、幻想からでもやって来るのではない。そのような場所ではなく、現実をも幻想をも無化してしまうような名付けようの無い闇からやって来るのだ。そ こにはステージはなく客席もない。私たちも次第にそのような意識を失っていく。そうしてラリーズの演奏が始まるのだ。

裸のラリーズの音について語るのも難しい。最近は3人編成、ギター・ベース・ドラムであるが、サイド・ギターが入ることもある。7年ほど前には、そのサ イド・ギターに山口冨士夫が入っていた時もあった。最近でも今年の9月21日に鹿鳴館でライブのあった時には、久しぶりにサイド・ギターの入ったラリーズ を聴くことができた。また、6月23日のクロコダイルでは、ギター・ベースの2人だけ、という時もあった。音について語るのが難しいのは、先程も言ったラ リーズが常に変化しているバンドであるということや、メンバーの編成の違い、演奏する人の違いで音が異なるということもある。しかし何よりも水谷のヴォー カルやギターがライブごとに、そして曲ごとにさえ、様々な変
化を見せるということだ。ギターの音に関して陳腐にも言葉にしてみれば、時にはノスタルジックで弾き語るように、時には徹底的にノイジーで暴力的な様相を 見せることがある。実際にはエフェクター類の使用で、かなりギターの音とは思えない大音響を響かせているとも言ってしまえる。しかし見ていてこちらの胸を 引き裂き、昂ぶらせるのは、水谷がギターに憑かれたように(あるいはギターが水谷に憑かれたように)弾く時の目の前の姿と、同時に入ってくる音、音、音で ある。水谷のギターを弾く姿は、またもや凡庸な表現をしてしまうが、ただ本当に凄い。凄まじい。弦を掻きむしるように弾き、弦を愛撫するように弾き、ス テージの上で水谷の体が揺らめき、浮遊し、跳梁する。そして時には明滅するストロボのすぐ間近に顔を寄せ静止する。その間絶えずギターの音が渦を巻き、木 霊する。ただ凄まじいとしかもはや言い様がない。凄まじいけれど切ない。それは水谷のヴォイスもだ。
エコーの深みから立ち登ってくる水谷の詞は、激しくて、余りにも切ない。ここで水谷の歌詞を書き移してもいいのだが、言葉を並べただけでは何の意味もな い。ただ平面上に書いた言葉など言葉ではない。その言葉へと結実していく意識の高まり、昂ぶりがあってこそ、言葉は発せられる。水谷がステージで歌うと き、まさしく彼の言葉は、その意味だけでなく、水谷がこれまで裸のラリーズとしてやってきたところの深まりをもって、こちらへとやって来る。やるせない水 谷の声が、こちらの内面をも浸していく。そして胸の内奥に裸のラリーズは、決して消えることのない、名付けようのない、痕跡を刻みつけて、闇へと溶けてい く。

裸のラリーズ:雑誌記事:「宝島」1984年10月号

裸のラリーズ:雑誌記事:「宝島」1984年3月号

裸のラリーズ:雑誌記事:「Marquee Moon」013号(1983年)

(コンサート評:1983年3月29日 屋根裏)  ここのところ、年に2~3回くらいしかその姿と音に接する事のできなかったラリーズが、今年に入って既に4、5回ものライブを行っている。そんな事からも今年のラリーズには、おのずから期待をしてしまう。
いつもながら気合いの入ったライブを聴かせてくれるラリーズだが、今回は久々に屋根裏に照明、ストロボ、スライド2台にそれにお香を持ち込んでのステージ だった。相変わらず演奏を始めるまでの間に流すテープのセンスはバツグンで、彼らの音楽に対する造詣の深さには驚かされる。

 ラリーズが登場する。ガーンと音が出てくる。やがて水谷氏が1曲目のコード を弾きだしてバックがガシッと入ってくるその瞬間!必ず鳥肌が立ち(本当は忘れちゃいないけど)忘れていた熱い血が騒ぐのだ。条件反射なんかじゃない確か な手応えだ。音楽ぐらい常に新鮮に聴きたいものだ。水谷氏はめずらしくサングラスを取ってのステージもラストの曲でアタッチメントの調子が悪かったため か、マイクスタンドを倒しギターを踏んづけてのラストだった。
 今回のステージ特に気が付いた事は、ドラムがオカズを入れていた事と、少し 前に1曲目にやっていた「夜よりも暗く」という曲を別の曲のメロディーにのせて、歌詞も少し変えてやっていたことだが、毎回の変化に客はもっと注意を傾け てもよいのではないだろうか。ラリーズは一度聴けばいいというバンドではないのだから。今回のライブの客もガラリと変わっていて、若い人が多かったのが印 象的でもあった。ここ何年かの間で若いバンドや新人バンドがライブをやることが比較的簡単になってきたのは良いことなのだが、逆にその状況に依存してし まって何のためのライブなのかを見失っているバンドが増えていることも事実だと思う。プレイヤーの層の幅も広がりテクニックも上達はしているのだが、せっ かく良い音を出していながら見た目のインパクトや存在感がまるで感じられないために音まで聴く気がしなくなる、といったバンドが随分増えてきたような気が する。音はもちろんとしてビジュアルな部分にも十分に気を遣ってもらいたい。ラリーズを観ていてそんな事を考えたのは、ラリーズがあまりに音楽に全力投球 だったからである。前述の照明などの機材に加え、専属のミキサーを毎回付けるという、自らの出す音に対する姿勢こそ見習わなければならないのは実は当たり 前のことなのではないだろうか。一回でもライブをやったことのある奴はこれだけの事がどれだけハードな事か判ると思う。しかし趣味ではなく純粋に音楽をや りたいのならば金銭的なことはもちろんとして音楽以外の全て事を潰してでも1回のライブなりを全うするべきなのではないだろうか。今のバンドは昔のバンド に較べると小粒だし昔のバンドに負けていると思う。
 それとラリーズは時代的な古い、新しいを完全に超えたバンドだと思う。時代 を肌で感じ取っていく事は大切な事だが、それを流行などとすり替えて新しさだけが先行し足が地に着いていない小粒バンドはラリーズとは比較にならないの だ。今年こそはラリーズのレコードが聴けることを祈って。(榎本)

裸のラリーズ:雑誌記事:「Marquee Moon」012号(1983年)

 バンド結成は'67年11月京都である。裸のラリーズは水谷孝の観念がバンドという形態を とっているため、彼さえいれば裸のラリーズであってメンバーは幾度も替わっているが、サウンドは一貫してサイケデリックである。'73年に彼らが活動の中 心としていた吉祥寺のライブハウス"OZ"が閉鎖するため、この店でずっと録音されていた音をレコードに残したが、その2枚組アルバム "OZ DAYS" の片面にその足跡を残すのみで、簡単に表には出てきてくれなかった。82年に山口富士夫が加わった時、レコードが出るという噂が流れたがマスターテープま で作ったらしいが、やはりというかついに今まで出ていない。
サウンド的にはやはりヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影響は否定出来ないが、今の音は彼らの2nd を超えていてアコースティックなナンバー(彼らのステージで中間部に演るアレ)にその影響が感じられる。ラリーズのライブは彼らの登場する30分前から始 まっていると言っても良いだろう。彼らは開演を必ずといってよいぐらい遅らせて、その間延々とテープを流すのであるが、例えばPOPOL VUHのノスフェラトゥであったりアギーレであったり、センスの良いレコードを聴かせてから登場し、登場した以上、徹底的に演ってくれる。色々なバンドの 出るコンサートなどではその持ち時間を完全に超えても電気をつけられても演る。ビジュアルな面でもスライドを後ろに映したり、とんでもなくサイケデリック な照明を使ったりと凝っている。
比較的大きいステージでは、全体がオーロラの様にキラキラと光りながら包み込むように回って、そのエコーだらけのボーカルはそれでも良く聞こえ、まるで 煙のように立ちこめる。最後の語尾をするどく切る歌い方は断末魔に似て、一度頭の中に入るとくるりと一周してから出ていく。ベースとドラムの延々と続くリ フの上をあのギターがギャ~~とうねる様は見事としか言いようがない。
そのギターだが、水谷のギターはもっともっと評価されて良いと思う。それこそ長い間演ってきた奴だけが出せる音だ。色々と研究され尽くされたと思えるそ の音づくりはなかなか相当なもので、グヤトーンのアンプと共にシステム化されていて、不動のセッティングのようである。まるで覚醒を促すかの様なギターの 強力な爆音は、演ろうったって出来るものじゃない。そういった意味で水谷孝のギターは凄い。ああいった音は作れたとしても、あの雰囲気というかフレージン グはラフなのだがとてもよくマッチしていて簡単には出来ない。また、たまにマイクスタンドや体にぶつかったり故意にぶつけたりして出す音が実にうまくコン トロールされていて絶妙である。小さい、例えば屋根裏などのコンサートでは又、ホールなどとは違った感じでエコーのかかりきらない、こもった感じのない 荒々しい感じで大音量を奏でる。そのあまりの音量は演奏の終わった数日後まで余韻を耳に残してくれる。山口富士夫の加入前後に参加していたサックスはス テージの隅の方でサックスを口にくわえたまま音を出せないでいる。凄い緊張感である。ステージでケリが入ることもある。中央にいる水谷はまさに "NOIR の帝王
" である。
 数々のアンダーグラウンドのバンド達がメジャーからデビューしていく なかラリーズだけはその姿を表に出すことをせず雑誌などにも出ることを拒んでいるように、真の本物は簡単には表には出てきてはくれない。もう15年以上も バンドを引っ張っているが、相当なエネルギーが必要だったはずである。ラリーズは何処へ行くのであろうか?近代の宿命の象徴としての「否定に呪われたナル シシズム」というひとつの必然によって貫かれて、そしてそれには完結は無いものと思われる。(榎本リュウイチ)