2011-05-30

裸のラリーズ:雑誌記事「朝日ジャーナル」 Vol.24 No.14 (1982.4.2)

裸のラリーズ
この一五年間、メジャーな音楽産業といっさいかかわらず活動をつづけてきた。映像、照明、芳香を効果的に使い、ときには一曲に一時間もかけて、ポクを軽 いトリップ状態におとしいれる。どの曲も盛りあがることなく淡々と繰り返されるだけ。けれども不思議な優しさと狂ったような残虐性に満ちていて、息の詰ま るような存在感がある。みせかけの優しき、みせかけの過激さは足もとにも及ばない。(啓)

裸のラリーズ:雑誌記事「宝島」1981年2月号



裸のラリーズ:雑誌記事「ヤング・ギター」 1980年11月号

裸のラリーズ:雑誌記事:「DOLL」1980年 第1号

裸のラリーズ:雑誌記事「Rock Magazine」1977年3月号より

裸のラリーズ:雑誌記事「ローリングストーン・ジャパン」197?年12月号より

日本最後のサイケデリック・トリップ・バンド、裸のラリーズは年末から来年の始めにかけて、 オランダを皮切りに、フランス、ドイツを中心にヨーロッパ・ツアーを行う予定。詳しくはまだ未定だが、場合によってはTV出演、レコーディングの機会があ るかもしれないという。裸のラリーズはなぜか在日外国人に人気があり、ヨーロッパ・ツアーが実現すればその成果が期待される。

裸のラリーズ:雑誌記事「新譜ジャーナル」1974年9月号 「ロック最前線」より

裸のラリーズ:雑誌記事「新譜ジャーナル」1974年7月号 イベント・OZ YAA HOUSE

(1974年 04月14日 東京・福生市民会館)「OZ YAA HOUSE」



裸のラリーズ:雑誌記事「新譜ジャーナル」1974年5月号 イベント・OZ YAA HOUSE

(1974年 04月14日 東京・福生市民会館)「OZ YAA HOUSE」

 

裸のラリーズ:雑誌記事「新譜ジャーナル」1974年4月号 イベント・Electric Pure Land

裸のラリーズ:雑誌記事「新譜ジャーナル」1974年2月号


1973年11月3~4日 埼玉大学「エレクトリック・オールナイト・ショー」

裸のラリーズ:雑誌記事「ローリングストーン・ジャパン」1974年2月号より抜粋

「OZバンドと裸のラリーズに注目!~キャンパス・コンサートから~」

・・・トリを務めた裸のラリーズは、バンドを結成してからもう 5年以上経つという。前に演奏したロスト・アラーフの熱演(??)によって、マイク、アンプなどの調整に手間取り、なかなか始まらない。やっと始まった演 奏は、一言で彼らを言い表すなら、「蒼白い妖艶さ」である。デビッド・ボウイなどのそれとは異なり、場末のストリップ劇場の妖艶さである。さて肝心の音の 方であるが、時折り起こるハウリングによって音のバランスがとても悪く、その上にボーカルの弱さも手伝ってもうひと押し。聴衆を魅了するところまでにはい かなかったようだ。ただ気になるのは、黒メガネに黒っぽいいでたちで単純なコードを繰り返し、ファズをかけ鼓膜をつんざくような音の凄まじさと、シン
プルで思いタイコ、それに聞き取りにくい歌の言葉のそれらは、そのままベルベット・アンダーグラウンドに通じるところがあり、この辺が司会者(?)にサイ ケデリック・バンドと言わしめた所以でもある。好意的に解釈してくると、裸のラリーズも何かしら倦怠感に満ちた雰囲気を醸し出しているように見受けられる から不思議だ。しかし、今の裸のラリーズに不足しているのは、ベルベット・アンダーグラウンドがかつて我々にひしひしと感じさせた、けだるさの中に秘めた 力強さではないだろうか?・・・
(1973年12月15日に千葉大学で行われた「不知火」コンサートに対する評)

裸のラリーズ:雑誌記事「ヤング・ギター」1973年 11月号

(1973年 8月25~26日 石川県山中町で行われた「第一回夕焼けまつり」についての記事)

今月号でも取り上げた噂の「夕焼けフェスティヴァル」のライブカセットが発売されることになりました。内容はオズ・バンド、久保田麻琴と夕焼け楽団、レイ ジー・キム・ブルース・バンド、瀬川洋グループ、南正人、裸のラリーズ、めんたんぴん、さゆりグループなどの予定。定価800円で、日本のウッド・ストッ ク・フェスティヴァルの模様をぜひ聞きたいという人は石川県小松市・・・Make Love Co.へ申し込んで下さい。

裸のラリーズ:雑誌記事「ヤング・ギター」1973年 11月号

グループ紹介 “空を駈ける”裸のラリーズ
「時代は変わってしまった」

「裸のラリーズ」。レコードはまだ出ていない。彼らの活動の場はこの間閉店したOZなどのロック喫茶や野音など。だから彼らの生演奏を聴いた人の数は、さほど多くはない。それでも彼らの噂はどこからともなく聞こえてくる。
結成は68年、京都。「裸のラリーズという名に特別な意味は持たさなかったし、解釈のしようもなかった。でも、いつのまにか色んな意味を持ってしまった。」と、リーダーの水谷君は語る。
京都時代、彼らは「現代劇場」という劇団と一緒にやっていた。といっても、バック音楽を演奏していたというのではない。「僕たちの演奏って、1曲で1~2 時間かかるものばかりで、ラリーズ対現代劇場って感じだった。ドラムスがジャズをやってたんで、あらゆるリズムの曲をやった。客の反応? 受けたっていう よりたまげたって感じだった。」
その後、京都でリサイタルを開いたりするが70年に入って「京都版裸のラリーズ」は解散。水谷君は70年暮、東京に出てくる。
「京都にいる時点では、やりたい事はやったと思った。だけど今はそう思えない。あの時の事を今、考えても、あの時点とはもう違う。でもーーもう過ぎてし まったことだから。」彼は「今」だけしか考えない。過去は彼にとって「もう過ぎ去った事」であり、未来の事等は考えたってわからない事なのだ。
2・3か月前、彼は「時代が変わりつつある」と語った。
「でも今ではそうは思わない。時代は変わってしまった。身体の中で感じる事、それが身軽になったって事かな。重く感じてた事? 安保とかーーいっぱいある でしょ。」突如として「安保」なんて言葉が出てきてこちらがビックリしてしまう。「政治問題なんてあまり興味はないけど。」こちらを脅かしておいて、それ 以上は話してくれない。「ただ、僕が一番初めに音楽をやり始めた時、ギターでデカイ音出したら、日常的なアカみたいなものが落ちたような気がした。それ も、何年か続けてやってるうちに、けっこう重くなってきて、それでシンドクなってきたって事もある。又、その重さが無くなって、言葉で言うと同じなんだけ どーー色が違うっていうか、音の方がもっと暗かった。だから今は、音も軽くなったみたい。」

どこまでも、ぶっとんでいきたい

生活する手段としての音楽は?と尋ねると「きついですね。でも何とかやりたい。やりたくない仕事っていうのは今は別にない。成り行きですけどね。やらな きゃならない時はやるでしょう。今の時点じゃそういう事はない。歌い出せばどこでも同じ。雰囲気は関係ない。」
では、今まで語ってくれた事は、水谷君個人の考えなのか、それともラリーズとしての意見なのか。「多少のズレはあっても、僕らのバンドの望む所は1つだか らーー。」それは?と尋ねると「ただ、ぶっとんで行きたいだけーー」と言う。確かに「ぶっとぶ」のに、場所や客は関係ない。彼ら自身の問題だけだ。
この辺でインタビューを終えようと思ったところ、水谷君が言った。「インタビューって、好きなアーティストは?なんて聞かないんですか?」では、ご希望に 応えて、好きなアーティストは?「やっぱりボブ・ディラン。ビートルズは時には楽しいと思うし、ストーンズはカッコイイとは思うけど、それだけ。ソウルは ノルけど好きじゃない。」中村君もだいたい同じだという。よく聴くレコードは別になし。中村君はレコードがなくちゃわからないと言う。もしラリーズのレ コードが出たら?「その時は、そればっかり聴くでしょう。」
裸のラリーズ、彼らが本当に、どこまでもぶっとんでいけるかどうかは、わからない。しかし、空を駈けられるかもしれないグループ、とは言えるだろう。これからの活動が、それを明確にするとしか今は言うことが出来ないがーー。(A.I)

裸のラリーズ:雑誌記事「ヤング・ギター」1973年 9月号

「村八分」ものがたり(藤枝静樹)

1970年7月26日、富士急ハイランドで行われた<ロック・イン・ハイランド>のイベントにバーズ・パーティーとして参加した僕は、京都からやって来た「裸のラリーズ」と名のるとても不思議なバンドに出会った。
この年はウッドストックの映画が公開されたり、ストーンズが来ると言われた富士オデッセイが企画されたりして、ロック・フェスティバルは常にマスコミに 話題をまいていた。この <ロック・イン・ハイランド>もその当時の日本の代表バンドを全て網羅し、スタッフ、機材も最高の部類を集めてかなり前からマスコミの間で騒がれていたに もかかわらず、さて幕を開けてみると、バンド関係、報道関係をのぞくと真の観客は100人位しかおらず、関係者は唖然としていた。日本版ウッドストックと 前評判を聞いてドッと押し掛けた報道陣は、このイベントの不成功はともかくとして取材をしなければならないので、ちょっとした事が起こるといつもカメラマ ンの山ができて、アマチュア写真家の撮影会みたいな雰囲気になっていった。
ちょうど「裸のラリーズ」が出て来て「ギミー・シェルター」を演奏し始めた時、案の定この人だかりができてしまった。よせばいいのにその中の一人がカメ ラを持ってステージに上がっていき写真を撮り始めた。その時である、ステージの隅で踊りを踊っていた不思議な奴がそのカメラマンに向かって激しいケリを入 れた。それに合わすように曲はブレイクして、「ミッドナイト・ランブラー」のブレイクに代り、カメラマンは鼻血を出しながらステージの上から転げ落ちて いった。その事を遠巻きに見ていた僕はスゴイ奴が現れたと思い、走ってステージの真ん前まで行き、その男を見つめた。
近くに寄ってみると、濃いグレーのシャツに擦り切れたようなジーパンをはき、その上から夏だというのに穴の開いたロング・ブーツを履き、八百屋の前掛け をつけて胸まで伸ばした長髪を揺らしながら踊っており、かなり異様に見えた。僕はその男に釘付けにされたように見つめた。そいつはボーカル担当らしいのに 時たまワンフレーズを歌うだけで、後はずっとミック・ジャガーばりの踊りを1時間のステージ中踊り続けていた。これは本格的なロック・バンドになるなと思 い、ステージが終わってから訪ねると「裸のラリーズ」の水谷孝がセッション・メンバーとしてバックに山口冨士夫グループをたのんだという事である。あの 踊っていた奴はと聞くと、チャー坊というサンフランシスコから帰ってきた奴だという。その3ヶ月位前、日比谷の野音で成毛滋のオルガン、つのだひろのドラ ム、石川恵(現、ファー・ラウト)のベース、それに山口冨士夫のギターをバックにデビューして、その
時も歌わないでずっと踊り続けていたという。そしてその踊りの途中で成毛の処へいって、「あんた、いえてへんわ。」と言った話を聞き真にロックの判る奴が現れたなと思った。
その後9月に日比谷の野音に 山口冨士夫グループが出るというので観に行ったが、何かの理由で出なかったので、ガックリして帰ってきたのも覚えている。それから2,3週間たってチャー 坊が鹿沼で大麻不法所持現行犯で捕まったのを週刊誌で読み、僕の予想を越えるミュージシャンが現れたのだと改めて思った。そしてその保釈後、「シャバはえ えで。」と帰ってきたチャー坊は、冨士夫と一緒に「村八分」というツイン・リードギターのバンドを結成した。
それから3年たとうとする今、やっと待望の「村八分」のLPが2枚組ライブで発売された。やっとの事でレコードを買って針を下ろしてみる。あの「村八分」 が出てくる時の外国グループ以上にワクワクくるあの感じを思い出しながら目をつぶって待っていると、何と聞こえてくる拍手の音はパタパタと迫力のない音。 これはやばいなと思い目をひらいて聞いてみる。冨士夫のチューニングの音が聞こえてくる、いつもと違う、こんな音じゃない。ロックを判っていたらこんなレ ベルで録音しないはずなのにと思う。そんな事を考えているうちに1曲目が終わってしまい、音に疑問をいだきながら「村八分」の演奏に聞き入ってしまった。 やはり演奏は裏切らないで迫ってくる。これだけの事を彼らはやっているのだから、もっとましな録音の仕方もあるだろうと悔やまれてならない。今度の2枚組 は、ブートレッグ・レコードと思って「村八分」の男グルーピーは次のLPの発売を待っている。


1970年7月26日 山梨県・富士急ハイランド「ロック・イン・ハイランド」
写真右より、水谷、チャーボー、ツネダ、
冨士夫。青木はアンプの裏
(山口
冨士夫著「So What」JICC出版より 写真:望月彰)

裸のラリーズ:雑誌記事「NEW MUSIC MAGAZINE」1973年7月号

 バンド結成は67年の11月だから、もう5年のキャリアになる。その5年の間にサウンドも 様々に変わった。水谷君によると3か月ごとに変化しているそうだ。といっても、バンドの姿勢は一貫していて、全てを破壊していく毒を内包している。向こう のグループで気になるグループは?と聞くと、”ヴェルヴェット・アンダーグラウンド”。
現在、ベースの長田君が休んでいて、京都時代からの準メンバーともいうべき久保田麻琴君が参加している。水谷君は「今、すごくやる気になっている。今年に 入ってからのロック・ブーム」は確実にダメになる。なぜなら、見当違いのまじめさによるものだから」という。いささか観念的なところがあるが、ユニークな バンドと言える。

水谷孝  :ボーカル、ギター(エビフォン、フェンダー・テレキャスター)
中村武  :ギター(エビフォン、ギブソンSG)、ヴァイオリン
長田幹夫 :ベース(エビフォン)
正田俊一郎:ドラム

連絡先=0422-○○ー ○○○○(OZ)

裸のラリーズ:雑誌記事「Music Life」1973年11月号

2011-05-27

裸のラリーズ:1979/10/27 法政大(チケット)

裸のラリーズ:1978/11/1 青山ベルコモンズ(チケット)

裸のラリーズ:1975/6/28~29 神奈川大学「オールナイトレインボウショーNEXT」のチケット

裸のラリーズ:1973/3/4 武蔵野公会堂「裸のラリーズ・コンサート」の未使用チケット

裸のラリーズ:ライブハウス「BYG」の1971年6月のライブ・スケジュール

裸のラリーズ:「立体画廊・射手座」オープニング・ショー

裸のラリーズ:ギター・セッティング

「アンプからギターまでの距離間にあるエフェクターは、ほぼ8~10台。特に重要なものは、

・ファズ(文字通りメーカー不明、日本製)1台
・サスティナー(Bigmuff Electro Harmonix製)1台
・ワウワウ(CrybabyかAcetoneの物を気分に応じて使い分けている)1台
・テープ式エコーチェンバー(テープ式であればなんでも構わない)1台

メインとなるのはこの4つ。あとはフェイザー、リングモジュレーター等をつないでいるが、全て最近の小さいコンパクト版ではない。ファズを2台つなぐことはあるが、2台同時には使わない。
ファズを2台以上同時に使うと(当然もっと使ったこともある)音は確かに伸びるが、音域の空間移動の幅が極端にせばまる為。これは弾き手もしくは聞く者のヘッドのどの部分がキャッチするかという事に過ぎない。
当然、使うギター、アンプも関係してくる。アンプは、大概は真空管式のものを使用。
そしてギターは気分に応じて、つまりその場に応じてという意味だが、SG、テレキャスター等を使い分けている。空気は常に変わり、それによって音は、はっきり反応するから。
という次第で、音出しする場所をも重要視する為、ケースバイケースで(最初の4台のエフェクターを除けば)セッティングしている。しかし、ギターの次にファズがくるかサスティンがくるかによっても音は変わるので、これも常に同じわけではない。
なお、ギターピッキングはピックを使わず、全て指弾きである。 〜 水谷 孝」

裸のラリーズ:「宿命ーよど号亡命者たちの秘密工作ー」 高沢皓司 著 新潮社 より抜粋

・・・もちろん、この謀議に加わった者の中にも別の夢を見ている者もいた。
「行きたくありません」
最後までそう言い続けた人間もいた。肩までかかる長髪の男だった。彼は赤軍派の活動家であると同時にミュージシャンの夢をも持ち続けていた。革命運動と 音楽活動の組み合わせは奇異な感じを与えるかもしれないが、当時、両者の間にそう大きな矛盾はなかった。たとえば「よど号」グループの古い指名手配写真に は、長髪で写っているもう一人の男がいる。現在、北朝鮮で「よど号」グループのスポークスマンを務める若林盛亮だが、彼もまた「裸のラリーズ」というGS バンドを率いて一部に熱心なファンを持っていた。また、ロック・グループ「頭脳警察」は「世界革命戦争宣言」という曲を、赤軍派のアピールそのものを歌詞 としてステージで歌い続けていたのである。
東大安田講堂の攻防戦以来、これまでと同じ闘い方に疑問を持ち始めていた若林は、一も二もなくハイジャック闘争への参加を表明したが、もう一人の長髪の男は頑として首を縦に振
ろうとはしなかった。
「一緒にいこうや」
「秋にはまた戻
ってくるんやから」
仲間達が入れ替わり立ち替わり説得を続けても、最後まで彼の意志は変
わらなかった。
「髪を切りたくありません」
北朝鮮は労働者の国、プロレタリア独裁の国であり、そうである以上、長髪のまま通すわけにはいかないだろうーーその場にいた誰もが、実際には北朝鮮のことなど何も知りはしなかったのだが、それでも「労働者の国」というくらいのぼんやりした知識
はあったのである。

フリクション ライブ音源

 
1978/04/15 東京・北区公会堂 Reck,Hige,Lapis *2nd gig
1978/04/18 横浜・日の出町グッピー Reck,Hige,Lapis
1978/05/01 東京・代々木 Chocorate Studio Reck,Hige,Lapis(Johnny, Pistol, せなかのコード, Crazy dream, Big-S, I can tell, Female) *スタジオ・デモ
1978/05/01 東京・代々木 Chocorate Studio Reck,Hige,Lapis(Crazy dream, Vicious, Johnny, Paint it black, Pistol) *スタジオ・デモ
1978/05/01 東京・代々木 Chocorate Studio Reck,Hige,Lapis *リハーサル
1978/05/28 東京・S-KEN Studio Reck,Hige,Lapis *S-KEN Studio opening party
1978/08/13 東京・S-KEN Studio Reck,Hige,Lapis
1978/10/01 東京・新宿ロフト Reck,Hige,Lapis
1978/10/08 神戸・ヤマハホール Reck,Hige,Lapis
1978/11/01 東京・青山ベルコモンズ Reck,Hige,Lapis 
1978/11/01 東京・青山ベルコモンズ Reck,Hige,Lapis  途中から
1978/12/31 東京・下北沢ロフト Reck,Hige,Tsunematsu 
1905/06/01 東京・法政大学学生会館 Reck,Hige,Tsunematsu 
1979/04/30 京都・京大西部講堂 Reck,Hige,Tsunematsu 
1979/05/24 東京・新宿ロフト Reck,Hige,Tsunematsu 
1979/09/20 東京・渋谷屋根裏 Reck,Hige,Tsunematsu
1979/10/27 東京・高円寺次郎吉 Reck,Hige,Tsunematsu 
1979/11/11 千葉・Mother's Reck,Hige,Tsunematsu 
1979/11/17 横浜・神奈川大学大講堂 Reck,Hige,Tsunematsu  "E.Circuit"
1979/12/15 名古屋・Electric Lady Land Reck,Hige,Tsunematsu  
1979/12/16 京都・磔磔 Reck,Hige,Tsunematsu  「ed '79 Live」
1980/03/19 東京・新宿ロフト Reck,Hige,Tsunematsu "Pass Tour"
1980/04/26 東京・青山ベルコモンズ Reck,Hige,Tsunematsu "Pass Tour" ライン録音
1980/04/28 名古屋・今池芸音劇場 Reck,Hige,Tsunematsu
1980/04/30 京都・磔磔 Reck,Hige,Tsunematsu "Pass Tour" 
1980/05/04 富山・Media Reck,Hige,Tsunematsu "Pass Tour"
1980/06/11 東京・三百人劇場 Reck,Hige,Tsunematsu
1980/06/24 東京・渋谷屋根裏 Reck,Hige,Tsunematsu
1980/08/17 札幌・ビイドロ Reck,Hige,Tsunematsu
1980/08/18 札幌・大谷池会館 Reck,Hige,Tsunematsu
1980/09/06 東京・新宿NYシアター Reck,Hige,Tsunematsu
1980/11/23 九州大学 Reck,Hige,Tsunematsu ライン録音
1980/11/23 九州大学 Reck,Hige,Tsunematsu
1980/11/26 博多・80s Factory Reck,Hige,Tsunematsu
1981/01/10 東京・法政大学学生会館 Reck,Hige,Non(g/ky)
1981/07/27 東京・新宿ロフト Reck,Hige,Emi
1981/07/28 東京・新宿ロフト Reck,Hige,Emi,Maki(g)
1981/12/13 東京・鹿鳴館 Reck,Emi,Schulz   "Scanning Pool,1"
1982/12/16 東京・鹿鳴館 Reck,Hige,Emi,Schulz
1982/12/17 東京・鹿鳴館 Reck,Hige,Emi,Schulz
1983/01/16 大阪・バラード Reck,Hige,Emi,Schulz
1983/03/14 東京・原宿ラフォーレ Reck,Hige,Emi,Schulz "Scanning Pool,2"
1983/07/30 東北学院大学同窓会館礼拝堂 Reck,Hige,Emi,Schulz *Crazy Dream
1983/09/14 東京・法政大学学生会館 Reck,Hige,Emi,Schulz
1983/10/09 博多・カルチェラタン Reck,Hige,Emi,Schulz
1984/12/31 東京・Theater Apple Reck,Hige,Emi,Maki
1985/03/22 東京・新宿ロフト Reck,Hige,Emi
1985/06/06 東京・Live Inn Reck,Hige,Emi
1985/11/04 東京・一橋大学 Reck,Hige,Emi,Hideo Yamaki
1985/12/26 東京・Super Loft Kindo Reck,Hige,Emi
1986/05/05 東京・千代田公会堂 Reck,Hige,Higo,Serigano
1986/12/29 東京・新宿ロフト Reck,Hige,Higo,Serigano
1986/12/30 東京・新宿ロフト Reck,Hige,Higo,Serigano
1987/01/11 東京・Ink Stick芝浦 Reck,Hige,Higo,Serigano
1987/03/13 東京・Live Inn Reck,Hige,Higo,Serigano
1987/05/05 大阪・エッグプラント Reck,Hige,Higo,Serigano
1987/11/08 横浜・横浜国大 Reck,Hige,Satoh,Higo,Serigano
1987/11/22 INK STICK 芝浦FACTORY Reck,Hige,Satoh,Higo,Serigano
1987/11/22 INK STICK 芝浦FACTORY Reck,Hige,Satoh,Higo,Serigano
1988/07/08 東京・Ink Stick六本木 Reck,Satoh,Higo,Serigano +John Zone
1988/07/08 東京・Ink Stick六本木 Reck,Satoh,Higo,Serigano +John Zone
1988/09/14 東京・Club Quattro Reck,Satoh,Higo,Serigano
1988/12/29 東京・Club Quattro Reck,Satoh,Higo,Serigano *Crazy Dream
1989/02/03 川崎・Club Citta Reck,Satoh,Higo,Serigano
1989/04/26 東京・Club Quattro Reck,Satoh,Higo,Lapis +John Zone
1989/06/13 東京・Club Quattro Reck,Satoh,Higo,Lapis
1989/07/29 川崎・Club Citta Reck,Satoh,Higo,Lapis
1989/09/01 名古屋・Club Quattro Reck,Satoh,Higo,Lapis
1989/09/10 東京・Club Quattro Reck,Satoh,Higo,Lapis
1989/11/25 東京・法政大学 Reck,Satoh,Higo,Lapis
1989/12/26 東京・恵比寿第1ファクトリー Reck,Satoh,Higo,Lapis
1990/01/22 大阪・キリンプラザ Reck,Satoh,Higo,Lapis
1990/01/30 東京・Club Quattro Reck,Satoh,Higo,Lapis *100年,White Light White Heat
1990/02/18 東十条 Los Angels Club Reck,Satoh,Higo,Lapis
1990/07/15 東京・日清Power Station Reck,Satoh,Lapis
1990/09/05 東京・Club Quattro Reck,Satoh,Lapis
1990/10/12 東京・新宿アンティノック Reck,Satoh,Lapis
1990/10/31 心斎橋・Muse Hall Reck,Satoh,Lapis
1990/11/30 川崎・Club Citta Reck,Satoh,Lapis
1990/12/21 東京・Chocorate City Reck,Satoh,Lapis
1991/01/23 名古屋・Club Quattro Reck,Satoh,Lapis
1991/05/09 東京・Club Quattro Reck,Satoh,Lapis 
1991/09/21 東京・Chocorate City Reck,Satoh,Lapis (途中切れ)
1991/12/25 東京・Shelter Reck,Satoh,Lapis (途中切れ)
1991/12/29 名古屋・Club Quattro Reck,Satoh,Lapis
1992/08/30 東京・御茶ノ水日仏会館 Reck,Satoh,Lapis
1992/11/26 東京・Club Quattro Reck,Satoh,Lapis
1993/02/15 名古屋・Club Quattro Reck,Satoh,Lapis,Miyano
1993/02/16 心斎橋・Club Quattro Reck,Satoh,Lapis,Miyano
1993/02/22 東京・Club Quattro Reck,Satoh,Lapis,Miyano
1993/07/12 東京・Club Quattro Reck,Satoh,Lapis
1993/07/15 東京・Chocorate City Reck,Satoh,Lapis
1993/12/21 東京・Show Boat Reck,Satoh,Saitoh
1995/06/16
Reck自宅録音(Guiter)
1994/04/11 東京・Club Quattro Reck,Satoh,Saitoh
1994/05/28 名古屋・Club Quattro Reck,Satoh,Saitoh
1994/05/29 心斎橋・Club Quattro Reck,Satoh,Imai
1994/08/26 東京・Jungle Bass Reck,Satoh,Imai
1994/12/24 東京・Club 251 Reck,Satoh,Imai *Rock me baby
1995/09/26 東京・西麻布 Yellow Reck,Satoh,Imai
1995/10/15 東京・Liquid Room Reck,Satoh,Imai
1995/11/07 東京・Club Quattro Reck,Satoh,Imai
1995/11/15 心斎橋・Muse Hall Reck,Satoh,Imai
1995/12/30 東京・恵比寿 みるく Reck,Satoh,Imai
1996/03/27 東京・Liquid Room Reck,Satoh,Imai
1996/04/06 東京・法政大学 Reck,Satoh,Imai
1996/04/27 名古屋・Club Quattro Reck,Satoh,Imai
1996/07/01 東京・Liquid Room Reck,Satoh,Imai
1996/07/04 東京・Club Quattro Reck,Satoh,Imai
1996/07/19 東京・恵比寿 みるく Reck,Satoh,Imai
1996/08/18 東京・Club Quattro Reck,Satoh,Imai
1996/11/24 東京・法政大学屋外ステージ Reck,Satoh,Imai
2006/04/07 名古屋・得三 Reck,Nakamura
2006/07/18 東京・Club Quattro Reck,Nakamura
2006/10/24 東京・新宿LOFT Reck,Nakamura
2006/12/25 福岡・DRUM B-1 Reck,Nakamura
2007/03/11 京都・磔磔 Reck,Nakamura
2007/06/30 東京・恵比寿 Liquid Room Reck,Nakamura
2007/10/14 渋谷・O-East Reck,Nakamura
2008/04/22 心斎橋・Club Quattro Reck,Nakamura
2008/05/21 東京・Club Quattro Reck,Nakamura
2008/06/05 新大久保・Earthdom Reck,Nakamura
2008/09/12 赤坂・Blitz Reck,Nakamura
2008/12/02 代官山・UNIT Reck,Nakamura
2009/01/10 代官山・UNIT Reck,Nakamura
2009/10/18 渋谷・AX Reck,Nakamura
2009/12/06 東京・Club Quattro Reck,Nakamura
2010/05/19 東京・恵比寿 Liquid Room Reck,Nakamura