2011-05-27

フリクション/1980記事:Player 1980年 No.154

フリクション
■インタビュー:八木康夫氏  Player 1980年 No.154
■(インタビュー記事より、メンバーの発言を掲載。名前の断りのない発言はレックによる)

(昔のこと聞かれるっていうのは?)
一応聞いてみて・・・いいよ・・・。

(好む方?)
昔のコトはあんまり好まないんじゃない。だけどいいよ別に・・・答えないかもしれないし・・・参考程度・・・ね。

(ツネマツにフリクション以前のバンドについて尋ねると)
ツネマツ:ノーコメント!!

もう忘れたいんじゃない、昔のコトは・・・思い出したくないって事・・・。
だけどさ、何かやってる人って捨てたいと思っても恐さがつきまとうじゃない。だからなかなかパッとは捨てられないだろうし、スゴイ恐いことだと思うから ね。で、やっぱり彼は今までのを捨てたがってたと思うんだよ。オレたちとやることで、その切っ掛けになったんじゃない・・・今でもそれは(前のスタイルの フレーズ)出てきちゃうけど、そういうの押さえる訳だもん。それ、止めろっていう風にさ。

ツネマツ:でもなんか、それも(前のフレーズ等)終わったって気がするね。終わったっていうか・・・壊す作業っていうのはフリクションの最初の頃にスゴクやってたというかね。

(「軋轢」について)
あの" Crazy Dream" はね、オレは詞が好きな訳・・・それで詞が全然古くなってないし、だからアレンジを変えてやったのね。" Big-S" もやっぱり、自分の中でまだ持続してるから、アレンジを変えてね。うん。

(もしかして好き嫌いが分かれるんじゃない? 前の方がいいっていう人と。)
うん、そうだと思うな。オレも・・・。オレは当然今に近い方が好きだね。

(" No Thrill"について)
この曲はね、ホントは歌が入ってたのね、昔は。ステージでは3回位やっただけだから、シンセサイザーが入ってるのね。シンセサイザーという楽器がね。

(それは坂本龍一?)
違う!オレが弾いてるんだけど、ステージじゃできないじゃない。だから、そういう部分もアルバムにはあるよね・・・入れたらどうなるかとかさ・・・。

(今度のアルバムで坂本龍一の役割っていうのは?)
それ、必ず聞くんだよね。だれでもね。随分アイディアみたいのはさ、演奏のスタイルとしては3人がやっているナマに近い音で取った訳ね。それで後はドラム に変なエコーかけたりとか、その作業で彼が相談役になったっていうのかな。で、彼はこのドラムこういう音にしちゃったらとかさ、意見を出す訳ね。オレたち が「あっ、それいいんじゃない」って言ったらそれ使ったし、もっとこういう音にしてくれっていう所で彼は随分動いてくれたよね。こういう音が欲しいってい う時に分かんないから、彼が一生懸命エンジニアと一緒にこうじゃない、こうじゃないかってさ、その音を拾ってくれたっていうか。
あの人が直接手を下しているのは" I Can Tell"って曲ね。全くスネアのバーンと入るのと同じにあの人がシンセサイザーでバン!バン!っていう音叩いてるわけ。シンセサイザーでもそういう音出 るから・・・。バケツ叩いてるみたいな音、バーン!バン!バン!それだけ・・・他にやりそうになったけど止めさせたの。そんなに坂本龍一って人知らなかっ たし。

(興味はなかったの?)
うん、知ってるのはイエロー・マジックっていう所で知ってるだけでさ、イエロー・マジック聴いたことなかったしさ。

(最初に想像してたのはかなり坂本龍一が入り込んで行くんじゃないかという・・・。)
えっ!そういう気がしてたわけ? オレ、入り込ませなかったもの。うん、あの人が一杯やりたがって、例えばシンセサイザーをちょっと入れてみてて、あっ! これもやっちゃおうかみたいなさ、ノッて来ちゃうとね・・・(彼に)あ、それ、もういらない、いらないって言ってさ・・・。

(楽器なんかには拘る?)
うん、それはある程度拘るよね。だって、自分の好きな音が極端に出てくれない楽器なんて使いたくないよね。

(プレイヤーのインタビュー記事なんかでも前は弦がなんとかだとか色々あったでしょう)
だからね。オレ、分かんないけど、やりすぎなんじゃない、アレ。

ヒゲ:昔はヒドイ雑誌だなあと・・・。最近、写真とかちょっと、あ!変わってきたなと・・・。

それはさ、あの、そいつが自然に使ってて、この弦を選ぶようになるのは自然だと思うけど、なんか日本のギター・キッズっていうの?最初からそれじゃない。 最初からそれを使わなきゃいけない、みたいなさ。だから、もう音楽やるって感じじゃないよね。関係ない所でトリップしてるみたいだしね。それは感覚的な部 分で、例えばコンサートの前には弦を取り替えるとかさ、そういうのはある。でも、オレは錆びてても使ってるし、だから弦は切れたら取り替えるってタイプな んだと思うよ。
ニューヨーク行って、全然みんな(楽器に)拘ってないからさ、あるもんでそれ(音楽)を、ただ自分で出すために使うという、そのセンスだと思うしね。自分 がバンド作ってステージに立って何かを見せたり聴かせたりするっていうのにスタジオでさ、いい音を自分の思ってる音を出せる時間の方がずうっと長かったり して、だから完全にコピー出来てからとかさ、その辺、ひっくり返んないと全然オモシロクなんないんよね。ゼッタイに・・・。

(誠実さとその正反対にあるものについて)
日本の場合、誠実さみたいなこと、もの凄く少ないと思うわけ。マンガでもなんでもとても皮肉っぽく描いちゃうけどさ、そっちばっかりの気がするわけね。プ ラスチックスみたいなバンドにしてもさ・・・その正直とか誠実さみたいなものがもっと出し方として必要な気がするんだよね。なんでもマンガチックにしちゃ うのが多いと思うな。だから、日本で真面目に出したら、きっと凄く・・・コケにされるんだと思うよ。あの、周りからね、古いこと言ってるとか、うん、なん かそういう感じ。ワカルでしょ・・・正直になってる時、真面目に話しちゃうと、周りがつまんないこと言ってんじゃないよって感じでさ・・・バカにするよう なことって凄くあると思うのね。
だから、どうにかするっていうのが行き過ぎちゃってる気がするよね。ごく普通の部分っていうのは、もうみんな出さなくなってるっていうのかな。出すの恐れ ちゃってる・・・っていうの。そんな気がするね。皮肉っぽくしてから出さないと気が済まないような・・・気がするな。

日本ってなんか、やっぱり"NO"っていうアクションが必要だと思うね。"どうもどうも"じゃなくて、ひとつ誰かが"NO"って見せるようなことをしてい かないと、分かってるんだけど、曖昧な所で過ごしてっちゃうと思うのね。それはさ、もういろんな部分にはびこってるわけよ。オレたちの中でもあるかもしれ ないし、気が付いた時にはさ、オレはそういうの凄く嫌だから直していくけど・・・ステージの上と下でもあるわけよ。"NO"とも"YES"とも両方とも言 い切れないって部分が・・・。だからね、バンドも困っちゃうわけ。"NO"とも"YES"とも言ってくれないじゃない、聴衆は・・・。そうすると、絵でも そうだと思うけど、自分が、じゃ何やってるだろっていうのが、あるところまで行くと分かんなくなってしまう。だって返りが絶対に必要じゃない。返ってき て、それで次が分かってさ、次、次ってね。

ヒゲ:だから日本って随分その中にどっぽり浸かっちゃってるからさ、お互いに、だから首を絞め合ってるよね。出たらちょっと叩くとかさ、叩くと引っ込むしさ、で、結局何も無くなっちゃうのね。

だからね、それはステージやってると分かるわけよ・・・今度は一人になった時に、例えば自分が自分の友達とか、そこにもあって、そういう所をはっきりさせ ていかなければ、やっぱり何も変わんないじゃない。バンドやってて、そういう変わり方をしない限りステージで何をやっても変わんないよね。だから凄い敏感 にさ、ならないとダメだと思うのね。
感受性ってのがあるじゃない。感受性って言葉が・・・そういうのは日本人ってもの凄く豊かだと思うわけ。幅があってさ・・・。だけど反対に豊かすぎてね。自分が首締められているような事って一杯あると思うね。
今度は何を出そうかなって、とか、なんかやりたいなって思う時に、知ってることとか一杯あるからさ、音楽にしても文にしても、描くことにしても・・・なん か、色んな事知ってるから、自分が反対にそれが出せなくなっちゃうっていうの・・・ギターでもそうだと思うね。音楽やりたいっていうんでも、もう見方が沢 山・・・そいつにとっては見方が沢山あるからさ、ね。そういうものを消せないっていうの、だから、コピーもしなければならないしって所に行っちゃうんじゃ ないの、豊かだからね。そういう、ギターの音のはこびとか感じちゃうんだと思うんだよね。凄いな、とかさ。で、その大きな凄いなっていうショックが違う方 向に働いちゃうみたいにね。だから、絵描き始めたり、音楽やり始めた時っていうのは、何かを聴いたり見たりして自分もやりたくなるわけじゃない。ショック だと思うよね。そういうショックでやり始めるんだと思うけどさ、今、そのショックがなんか変な方向にね・・・。
ただ、ロック・バンドが一杯出てきたっていうのが、そういう意味で面白いと思うんだけど、Boys Boysだってそうやってやり始めたバンドでしょ。後はそのバンドがどうやってやっていくかという、やり始めれば問題が一杯出てくるわけだから・・・。そ ういうこと解決しながら、何かやっていくっていうのがさ、良いことなんだと思うよ。面白いことなんだと思うよね。

評論について?書いてあることは当たってたりするわけよね。みんな批評家のっていうのはさ!だけど、何となくその人間が信用出来ないっていうの、もう、そういう感じはあるね。

(ロフトなどで客が飛び跳ねて床の揺れが激しい、という話に)
ステージじゃもっと揺らしてるからね。その揺れっていうのは必要なんだよ。東京って場所はさ・・・揺れなさ過ぎるんだもん。そういう感じするでしょ。どこ行っても揺れてないじゃない。
他のバンドっていうか、他のバンドって言っても色んなバンドが出てるけど、なんかビートが古いんだよね。ビートがさ! だからこの前オレたちと一緒にラジ オでアナーキーとかRCサクセションだっけ?凄くビートが古いわけね。だから、それだけでちょっともう嫌になるな。相変わらずビートがもの凄く古いわ け・・・だけどやってる奴が古いんだと思うなオレ・・・8ビート出してもね・・・その本人が・・・。

ヒゲ:若い奴の方が歳取ってるんだよ。

というのはさ、若い奴はやっぱり一部しか見えてないと思うからね・・・。ドラマーがね、8ビート自分が叩いてるのに新鮮さ感じてなければもう古いんだよ ね。だから楽器やり始めた子っていうの・・・それが叩き出す方がもの凄く新鮮なんだよ。だから幼稚でも、巧く叩けなくてもね。それは絵を描いてる人でも、 ギター弾いてる人でも、自分のやってる事がさ、なんか新鮮じゃなければもう古いわけよ。

(トレーニングはする?)
トレーニングっていうのはさ、全てトレーニングなつもり。オレはね。こうやって喋ってるのも歩いてるのもさ、100%じゃないんだけど昔よりそれ、体で感じるね。

(東京ロッカーズのアルバムジャケットについて)
あれのジャケットもみんなで考えたわけよ。一応。だけど、オレのだけじゃない。だから、そんなに(思ったように)出せなかったよね。オレは随分意見を言っ た方だけどね・・・みんな、わりかし自分の事なのにさ、そんなに一生懸命になんないのね。自分たちのレコードで自分たちのジャケットなのにさ。どうしたら いいかってことあんまり考えて意見を持ってこないわけ。どうして、そんなに自分たちのことなのに一生懸命になんないのかと思ったけどね。わりかし、バン ドってステージでやるのには一生懸命になるかも知れないし、けど、ひとつ自分で喋ることだとか、自分たちの写真が載ることとか、もっと意識しないとつまん ないよね。バンドって・・・だから体の隅々まで気にしてないと、つまんないと思うわけ。どっかで誤解が生じるし・・・なるべく分かってないと知らない間に 自分たちが知らない所に行っちゃうよね。凄く気にしてないと、特に東京なんてそういう気がするね。自分のことなんだもの、全然当然のことだと思うよ。当然 なこと忘れてる人が多いよ。絶対多いよ。

オレが思ってるのはさ、凄いやっぱり基本的なことなんだよね。それは凄く・・・この20何年間かさ、育ってきた間に忘れてることなんだよ。多分・・・(フリクションを)やりながらそこに戻りたいというかさ、そういう感じね。感じでいくと・・・。

(それがフリクションをやってる上での基本?)
オレの場合はね。やっぱり、オレはそういうことバンドの中でも喋るし・・・。

ヒゲ:何ていうのかな、子供の時って、オレ・・・なんか・・・だから、子供の時って凄い好きだよね。自分たちの昔にあった事とか、それがやっぱり・・・大 人になってもそういう話出来なくなってるし・・・。色んな情報が頭の中に入り込んじゃってさ・・・勝手に、じゃ・・・こう・・・聴き方はとかさ、全部そう いうのが自分のスタイルの中に入って来ちゃってるわけよ。

それはもう、本当にね、肉体の一部になっちゃってるような気がするからさ・・・。

(何回でも、その事を言い続けていかないと・・・)
それは結局、半分か半分以上は自分に向けて言ってることだと思う。真実ってなんでもない事なんだよね。時々分かるんだけど、なんでもない事だと思うよ。本 当になんでもない事・・・パッと気が付く事ってさ、あの・・・その瞬間っていうのホントに人に伝えられたらいいなと思うわけね・・・。そこに気が付く人っ て少ないんだと思うよ。それは、自分の中にもう既にあるからさ、気が付かないわけ。その・・・
(で、どんどんそれすら忘れちゃって。)
そうそう、それを掘り起こす作業なのかもしれないな。

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