●80年に入って、元・ダイナマイツ、村八分、リゾート等の山口富士夫(G)が参加。
水谷との絶妙のコンビネーションを見せる。
この時期のメンバーは水谷(V,G)、山口富士夫(G)、Doronco(B)、野間(Dr)。
「水谷から久しぶりに連絡をもらったんだよ。『レコーディングをしようぜ』て言うんだ」
「(当時のラリーズは)客も黒ければステージの上も真っ黒さ-- 超アンダーグラウンドだったんだ。時代は八十年代はじめだぜ!世間の動きはニュー・ウェイブ真っ盛りさ!--正直言ってワクワクしたよ(笑)」
~加入のいきさつについて、「SO WHAT! 山口冨士夫」=JICC出版局=より~
●加入後、すぐに約3カ月東京・国立のマース・スタジオでレコーディング。
「水谷もオレも音楽の中で生活してたってカンジだね」。~上記同書より~
音源を未公表にしたため、スタジオ関係者は怒ったという。
●雑誌「HEAVEN」第6号(1980)に、8ページにわたって特集。カラー写真中心。
■ (1980年 01月16日 渋谷・屋根裏)
● (1980年 03月05-06日 高円寺会館ホール)
大鴉館「アンドロメダあるいは海の怪物」(作・演出:北森嶺鷹)の音楽を水谷が担当。これは同劇団の長田幹生が手がけていたことから、演出家と水谷が知り合い、何度かの話し合いを経て引き受けたものだという。
■ (1980年 08月14日 渋谷・屋根裏)
この日のライブから 山口富士夫が参加。
■ (1980年 09月11日 渋谷・屋根裏)
雑 誌記事:「ヤング・ギター」1980年11月号
■ (1980年 10月29日 渋谷・屋根裏)
■ (1980年 11月7-8日 神奈川大学3号館301教室)「100時間劇場」
「人工庭園」と「錬音術師の宴」という2晩連続のイヴェント。
共演:灰野敬二、白石民夫、山崎春美、佐藤隆史、財団法人じゃがたら、パンゴ、吉野大作&プロスティテュート、リアル、バナナリアンズ、シンパシー・ナーヴァス、分裂症候群ほか。
■ (1980年 11月23-4日 法政大学学館ホール)「イマジネイティヴ・ガレージ」共演:突然段ボール、グンジョウガクレヨン、チャチャ82、ダダ、三文役者、ネオンほか。
■ (1980年 12月13日(23日?) 渋谷・屋根裏)
■ (1981年 03月23日 渋谷・屋根裏)
この日を最後に山口富士夫が脱退。
●「バンド周辺のやつらが水谷サマサマだし、オレとはウマが合わなかった。一年も一緒に演ればいろいろなものが見えてくるしね。だからさ81年の初めにはもう抜けることに決めてたんだ」
一方で、「オレは、今でもラリーズにいたことを誇りに思っているよ。村八分もそうだけど、一生忘れられない何かをオレの中に芽生えさせてくれたバンドだからな」とも。
~当時のいきさつについて、「SO WHAT! 山口冨士夫」=JICC出版局=より~
■ (1981年 08月18日 渋谷・屋根裏)
■ (1981年 11月06日 法政大学学館ホール)
メンバーは水谷(V,G)、Doronco(B)、野間(Dr)に加えて今回と次回のみ藤井アキラ(Sax)が参加。
■ (1981年 12月19日 渋谷・屋根裏)
■ (1982年 10月01日 目黒・鹿鳴館)
■ (1982年 10月02日 慶応大学日吉校舎)
■ (1982年 10月10日 渋谷・屋根裏)
■ (1982年 12月18日 法政大学学館ホール)
メンバーは水谷(V,G)、Doronco(B)、野間(Dr)に加えて今回からサイドギターで藤井アキラが参加。
■ (1983年 02月18日 渋谷・屋根裏)
■ (1983年 03月29日 渋谷・屋根裏)
記事:Marquee Moon 013号にコンサート評。なお、同年の 012号には「日本のロック史を再検討する」という特集で、ジャックス、フラワー・トラベリン・バンドなどと共に紹介記事。
■ (1983年 04月20日 目黒・鹿鳴館)
■ (1983年 05月07日 京大西部講堂)
■ (1983年 06月07日 京大西部講堂)
■ (1983年 08月08日 下北沢・オデオン座)
オールナイトイベント。ベースのDoroncoが抜け、この日はベースのいない編成。
■ (1983年 08月11日 福生・Chicken Shak)
ベース大岩勝が参加。
■ (1983年 10月10日 目黒・鹿鳴館)
■ (1983年 11月10日 横浜国大)
■ (1983年 12月24日 法政大学学館ホール)
■ (1984年 08月13日 目黒・鹿鳴館
今回からベースに元・吉野大作&プロスティテュート、分裂症候群の高橋耀櫂。
■ (1984年 10月17日 目黒・鹿鳴館)
サイドギターが今回から抜け、水谷孝(V,G)、高橋耀櫂(B)、野間(Dr)の3人に。
■ (1984年 12月22日 法政大学学館ホール)
■ (1985年 01月29日 目黒・鹿鳴館)
ドラムが野間からキドコウジに。
■ (1985年 04月04日 渋谷・屋根裏)
■ (1985年 04月30日 目黒・鹿鳴館)
ベースにDoronco。
■ (1985年 08月22日 渋谷・屋根裏)
■ (1985年 10月01日 目黒・鹿鳴館)
■ (1985年 12月18日 法政大学学館ホール)
■ (1986年 04月11日 目黒・鹿鳴館)
■ (1986年 05月21日 渋谷・屋根裏)
■ (1986年 07月09日 渋谷・クロコダイル)
■ (1986年 09月09日 目黒・鹿鳴館)
■ (1986年 10月01日 渋谷・クロコダイル)
●87年、阿木譲の「ロックマガジン」誌のレーベルからオフィシャル版リリースの噂。
同誌には予告の広告まで出たが、結局オクラ入り。
■ (1987年 01月22日 目黒・鹿鳴館)
■ (1987年 03月08日 目黒・鹿鳴館)
■ (1987年 05月13日 目黒・鹿鳴館)
■ (1987年 06月23日 渋谷・クロコダイル)
■ (1987年 08月14日 目黒・鹿鳴館)
■ (1987年 09月21日 目黒・鹿鳴館)
■ (1987年 11月01日 早稲田大学15号館202教室)
■ (1987年 12月09日 渋谷・クロコダイル)
■ (1987年 12月13日 渋谷・クロコダイル)
■ (1988年 01月18日 目黒・鹿鳴館)
■ (1988年 02月23日 目黒・鹿鳴館)
■ (1988年 03月23日 渋谷・クロコダイル)
■ (1988年 04月18日 目黒・鹿鳴館)
■ (1988年 06月09日 目黒・鹿鳴館)
■ (1988年 07月28日 目黒・鹿鳴館)
●この後、水谷は渡仏。
●フランス滞在中とされたこの期間中の活動について水谷は「ミュージックマガジン」のインタビューでノエル・レディングらとのセッションに言及している。しかし実は同時期、水谷氏はモーリン・タッカーらとバンドを結成する話もあったようだ。実際にこのバンドがスタジオレベルでも実現したかどうかは不明。
●1991年8月15日、オフィシャルCD3組を突如発売。
・『67-69 Studio et Live』(SIXE0101)
・『Mizutani - Les Rallizes Denudes』(SIXE0203)
・『77 Live』(SIXE0400)
「67-69」と「77 Live」は1000枚、「Mizutani」は500枚限定の発売。
記事:ミュージックマガジン 1991年10月号 p.254 に3枚まとめてのレコード評。
記事:Gold Wax No.11(1991) p.44-45 に紹介記事。
●ミュージックマガジン 1991年11月号 p.110-115に、湯浅学氏による特集記事。FAXを介した水谷のインタビューを含む。
●1992年9月15日、オフィシャルビデオ『Les Rallizes Denudes』発売。
一本14,800円。
■ (1993年 02月13日 吉祥寺バウスシアター)
約5年ぶりのライブ。
メンバーは水谷孝(V,G)、高橋耀櫂(B)、野間(Dr)、石井(G)。
■ (1993年 02月17日 川崎・クラブチッタ)
記事:ミュージックマガジン 1993年4月号 p.206 にコンサート評。
記事:ミュージックマガジン 1993年5月号 p.174 にコンサート評。カラーイラスト。
記事:スーパー写真塾 1993年5月号 P.120~121コンサート 評と写真。
■ (1994年 07月10日 京大西部講堂)
■ (1994年 09月09日 川崎・クラブチッタ)
●94年12月24日、姫路・マッシュルームにて、ニプリッツのライブに水谷がゲスト出演。
ニプリッツは元ラリーズのベース、ヒロシ氏のバンド。演奏したのは殆どラリーズの曲だった。
■ (1995年 02月24日 川崎・クラブチッタ)
●95年6月18日、原宿・ギャラリー長谷川にて、靜香(人形)、中元かおり(ファッション)、らせん(陶芸) による3人展「アルカロイド・セレナーデ」の初日と2日めのオープニングとして、靜香(vo&g)+三浦真樹(b)+水谷(g)でステージを行う。
会場はギャラリーの為、余りの音量に初日、二日目ともに警察がかけつける騒ぎとなり、特に二日目は会場側の中止要求を無視して強行するが、途中で警察により中止させられたという。
●雑誌「etcetera」第2号(1996)でラリーズの特集。付録に「黒い悲しみのロマンセ或いはFallin' Love With」、「永遠に今が 」を収録したEP。
●96年、またしてもスタジオレコーディングするものの、やはりリリースはされず。
■ (1996年 10月04日 川崎・クラブチッタ)
●1997年11月03-04日、吉祥寺・マンダラ2にてアーサー・ドイル、豊住芳三郎と水谷が共演。この3人でCDを出すという話もあったが、未だ日の目を見ていない。
●1999年、「Oz Days Live」のブートレグLPが出回る。ただし、A面:裸のラリーズ 、B面:タージマハール旅行団の1枚組。これは92年にも一部で出回ったらしい。
●2000年2月8日発売の Studio Voice誌に、ラリーズの特集(約10p.)
大鴉館「アンドロメダあるいは海の怪物」追加されましたね。劇では、音楽のみならず役者としても怪演!なされました。一度聞いたら忘れられない強烈な台詞の言いまわし(ギターのフィードバック音より覚醒的な声。)。本人が望めば役者としても頂点を極められたと思います。音楽はAlabama Song(DOORS?)が効果的に劇を引き立てていましたので、劇中効果音が音楽参加なのでしょうか?映像は残っているのでしょうか。
返信削除私は残念ながら観てないんですよね〜。役者・水谷の様子の様子は当時よく聞いていたので興味はあったんですが。音楽については、非公開のインタビューで「その芝居もやったわけね、音楽をね。かなりそれはきっちりとやった」と言っているので、何らかの演奏はしていると思います。カセットテープ(ジャケット付きなので配布用?)を持っていたはずなんですが、現在行方不明・・・。映像も、記録用のものを関係者がまだ持っているかもしれませんね。
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