2011-05-27

フリクション/1990記事:フールズメイト1990年4月号

FRICTION イナズマ・ショック連打 Bind and Break
■インタビュアー 石井孝造氏、フールズメイト90年4月号
■(インタビューを含めた記事より、レックの発言部分を掲載)

 俺の中では、10年っていうワンサイクル分があって、芝さんとおととし『レプリカント~』を作ったの もね、芝さん のほうから話が来て、10年前はPASSで一緒にやってたわけでしょ。だから何かひと旅してきた、ワン・トリップ してきたっていうのがあるのね。そういう感じが残ってたから、ラピスの時もそれなりにワン・トリップしてきたか な、みたいなのがあるから。肥後くんだってそうなんだよね。昔3分の3で一緒にやったわけだから。だからラピスに 声かけた時、その10年前とは違う、はっきり意識した音としてそうしようと思ったから。はっきり君を認める、俺を 認めろみたいなところで出し合わないと、何かの連続だとどうしようもないと思うから。

俺の場合、カタチっていうのがあるから、音楽にも形があるからどうしても不可欠なものっていうのがあるとするじ ゃない?そうすると、キーボードが今回不可欠なものではなかったんだよね。キーボードがなくなっても、それを補 えるものがギターで出せると思ったし、キーボードとの関係がね、あとひとつ迷ってたから。確実になんないからね 、そういう要素っていうのをなくしたかった。いつも確実にするようにやってたんだけど、なかなかそうなんないか ら。 たぶんキーボードの質感がほしいのね。シンセって、伸ばせる音がほしいんだけど、それは今出せないからね、ギタ ーとベースだけじゃ。そういう意味では今でもほしいんだけど、とにかくラピスが入ったっていうのは、その前の4人でどこへも行けなくなっちゃったんだよ。 俺が。音楽っていうのは色んな所へ行けるのね、プレイしてる最中。だから、トリップが決まっちゃうんだよね、同じ顔ぶれでやっていくと。だけどそれでいや になったら、どんどん取り替えるしかないんだけどさあ。ホントにできたらそれは面白いかもしれないと思うけどね。だけどそんなにミュージシャンいるわけ じゃないし。

自分の中だけでこうしたいっていうのあるじゃない。例えば自分の部屋においてある皿をこう、赤く塗っちゃおうと か。だけどそれは自分と皿だけの世界であって、他の人間は全然関係のないことじゃない。だからそれに近かったの かもしれない。実験をちょとやってみたいなっていうのが。自分の世界にどんどん入っていくっていうか。だけどねえ、たかがロックン・ロールってのはねぇ、 ああいうのっていいよね。なんか、凄くスッキリさせてくれるでしょう。自分自身が凄いヘヴィな時に、自分にたかがそんなもんだよってことで、本当は違って ても少しスッとできることがあるでしょ。息が抜けるところが。だから使い方かもしれないけれど、たかがロックン・ロール、されどロックン・ロールみたい な、その微妙なバランスが面白いと思うのね。どっちだけに行っちゃってもつまんないんだけど、両方が知れてるってところが凄い強みであると思うよ。

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