2011-05-27

フリクション/1988記事:MUSIC MAGAZINE 1988年6月号

よりしなやかにNYのリズムと交感し合うフリクション ロリ・モシマンのプロデュースで新作をレコーディング
■大鷹俊一氏の記事。ミュージックマガジン88年6月号
■(記事の中からレックの発言を
抜粋)

何か高円寺とニューヨークが隣り合わせでつながっている感じなんだよね、今回は。
ロリに決めたというのも、いまだにどうしてだかよくわかんないとこがあるんだよね、ヘンだけど。ゴダールに捧げたアルバムでアート(リンゼイ)とやってる のとか、ワイズブラッドでロバート・クインなんかとやってるのぐらいしか知らなかったし、プロデュースしたのも聞いたことなかったもんね。ただアートに相 談した時に名前が出てきたんで、それじゃあってんでライヴのテープを送ったんだよ。そしたらミックスだけじゃなく、もっと深く関わってやりたいということ だったんだ。

最初、3月にこっちに来て、彼の家で全体の演奏をやったり、ドラム・マシーンにパターンを打ち込んだりして長さを設定していったんだ。そうしたなかで <バッド・ラック>という曲だけは、やってたリズムとちょっと違ったものになったのね。それはロリがこういうリズムにしたほうがいいんじゃないか、今のま まじゃ聴いてて進んでいかないってことで変えた。今回俺は、極端に言えば曲が全然変っちゃってもいいと思ってたのね。初めて会う人間で、そいつに頼むと決 めたわけだから、そいつが出すアイデアをとりあえず受入れてみようと思ってたわけ。

でも基本的に変化があったのはそれくらいで、あとは曲のなかでこれ一つ減らしたほうがいいとか、歌と歌の間が長過ぎるからこうしたほうがいいんじゃない か、程度だったね。だけど、今回は1曲が長いから、俺もどう削っていいかってずーっと考えてたから、その点ではずいぶん助かったね。

結局長くやってればやってるだけ、お互いにいろんなものを出し合っていかなけりゃダメだと思うんだよね。ライバル意識みたいなものも互いに出してないと甘 えばっかりになるし。ヒゲとのことも、やめた、やめないとひと言じゃ言えないなにかがあるんだろうね。簡単なことだとは思うんだけど、やっぱり根は深いと 思うよ。付き合いが長い分だけ、間隔をきちんと開けておかないと強い音を出し合えないというのが、絶対あるんだ。

今回とくにレコーディングでいろいろやったのはキーボードに関してなんだよね。というのも、キーボードは俺、あんまり気にしてなかったのね。セリガノにし ても、もともと専門家というわけじゃなかったし、これまでのレコードでもほとんど使ってないのね。ギター、ベース、ドラムスに、せいぜいトランペットと同 じで、さみしいからとか音質変えたいからぐらいの感じで、それぞれのフレーズとかは出来上がっていたんだけど、それをどう散りばめようかみたいなのがはっ きりしなかったんだ。もちろんここに入れようというイメージはあったし、結果的にはだいたいそこに入ったんだけど、ロリはもっと鮮明にしたって感じ。

ちょうどこれみたいに(とアップルパイをさす)少し崩れていたのを、こう、きちんとしたんだろうな、彼は。俺たちはこれならこれで楽しめちゃう部分ってあ るじゃない?でもロリはやっぱり、パイの形をしてないとダメなんだろうね。ライヴじゃなく何度も聞くレコードなんだからって言って、音質にもすごくこだわ るしね。

最初、ドラマーだからドラムスが好きなんだろうと思ってたんだけど、自分じゃコンビネイションが好きだって言うんだ。だからそういう意味でもギターとか キーボード、ベース、ドラムスなんかが、俺の考えていた以上に混ざり合ったと言えるね。どうしても日本人同士でやってるとビシッと固めきれない部分がある わけ。それは日本人の持ってる資質があるから、いいか悪いかわかんないけどもね。友達同士でバンドやってても、ノリが悪いからもう1回やってみろ、って言 い合うことって少ないよね。まぁいいんじゃない、みたいに流れて。

こっちのヤツって、いまのプレイはダメっていう根拠を論理的に言えるんだよね。ロリももちろんそうだし。そして、こうしたいんだったらやり直すしかないん だろうってことになる。東京にいれば俺がその役目をやるわけだけど、今回は全然知らない人がポッと入ってきて言うわけだから、タイトにならざるを得なかっ たし、そういう凝縮感はすごくあると思うね。どうせ東京に帰ったら自然とダラッとしてしまう部分はあるんだけど、とりあえずレコードはニューヨークという 街と混ざり合ったものでいいと思ってる。

日本だとみんな友達感覚になってしまうでしょう。何で音楽やってるかっていっても、もちろん好きだからというのは最低限あって、その上で自分の論理という のを組み立てていくわけだけど、日本だとそういうのをいつも自分にインタヴューしてないとわかんなくなってしまうんだよね。だからパンクでもブルースで も、はやれば何でも好きだからっていうんでやっちゃうけど、でもそれじゃあ長続きしないと思うよ。つねに自分で何をやりたいのか、何をこいつと作りたいの かってことを問いかけていかないとね。

やっぱり重たいものを一度やったから、いま俺自身がこの音をすごく楽しめるというのはあるんだよね。音楽自体を10年前より全然楽しんでるもの。東京ロッ カーズのころは、3人がガァーって吐き出したいものをやって、それはそれでよかったんだけど、いまはもうそれじゃ楽しめないもの。もっと織物みたいにギ ターとかベースが混ざり合ってガラを織っていくほうが、ずっと面白いからね。それにマッちゃんや、もしかしたらヒゲなんかもソロの人かもしんないけど、俺 はやっぱり一人でというより、他人とこう交わっていくのが好きだしね。

ニューヨークってのはね、もう10年前じゃないからすごく身近になってるよね。来てもワァーっていうのはないし、帰っても昔みたいに疲れたりもしない。本 当にそっちの角から高円寺につながってそうな感じなんだよね。 ただ俺とかヒゴ君は、プレイして長いから、ニューヨークでレコーディングすることに一つのスリルは感じるわけ。

また次に作る時に来ようと思ってもすごく大変かもしれないし。でも若い奴は、いま日本の方が機械なんて進んじゃってたりで、そういう思い込みはあんまりな いかもしれないね。もちろん見えているものとか環境が全然違うわけだから、面白いとは思ってるんだろうけど。

でもさっきも言ったように、どこがどう面白かったんだみたいな質問をつねに自分にして、ロジカルにとらえておかないと、ただロリにハイハットのこういうやり方を教えてもらったんだという感覚的なものだけじゃあ、すぐに肝心なものはなくなってしまうと思うよ。

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